中学生

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 当然その後は、地獄の日々を送ります。小学生のマラソン大会だって何とか乗り越えてきたのに、毎日の校外周ランニング、吐きそうな程の筋トレ、顔面には強烈スパイクを受けて鼻血との戦い。  ついていくのがやっとというより、ついていけてませんでした。  休日は、全て部活。夏休みも冬休みも大型連休は毎日部活。ただでさえ体力はないのに、毎日くたくたへろっへろで、寝ても寝ても寝足りない。だから、授業中は眠くてねむくて、全部寝てました。  部活があって家に帰ると20時くらい。そこから夕飯食べて、お風呂に入るとすぐに寝る時間。なので、当然課題なんてやりません。  それで教師に怒られるという繰り返し。  別に反抗していたわけでもないし、ヤンキーのように意気がっていたわけでもない。ただただ眠すぎて授業も課題もできなかった。  共働きだった両親。それなのに、母は、部活の車出しなどしっかりやってくれました。  今になって思えば、仕事で疲れていてせっかくの休みなのに、私の部活に付き合って大変だっただろうなと思います。  私に子供がいたら、部活の車出しなんて絶対に嫌だ。休み返上で試合を見に行くなんて嫌だ。全力で文化部を推奨しますね。  そんな母ですが、とても明るく、優しいです。虐待紛いな父にいつも怒って守ってくれました。  重嘘のまどか父もそうですが、うちの父も母には手を上げることはありませんでした。怒鳴ることはあったけど。  そんな温厚な母です。  部活が辛すぎて辞めたくなった時、「もう辞めたい」と本気で訴えました。しかし、優しい母は「自分が反対押しきってやるっていったんだから、自分の言葉に責任をもちなさい。最後まで続けなさい」と反対。  自分で選択したことは、最後までやり通せと、なぜかそこは譲らない母でした。  結局私は、三年間続けたのですが、大人になってからの三年と、中学時代の三年は、体感時間が全く違う。  私には、倍の六年程に感じました。  更にスポーツが嫌いになりました。  ガリガリの体に無理矢理筋肉をつけたので、太腿は外側左右に肉割れの痕ができてしまいました。  運動が嫌いな理由がもう一つ。  私は、生まれつきのX脚で、両膝が内側に入っています。なので歩く時、走る時には内股になります。子供の頃から、それをからかわれていたため、人前で走るのが嫌いでした。  なので、部活中も他校の生徒に笑われることはしょっちゅうでした。  そんな人生の真っ只中、中学二年生。  父が心筋梗塞で倒れ、バイパス手術という大きな手術を受けました。  地元の市立病院では手術ができないので、県庁所在地の大きな病院で行われました。  ちょうどその頃、母が事故にあって一時車を運転できなくなってしまったので、そんな中で片道1時間かけて毎日病院に通うのは大変そうでした。  弟達は、まだ幼かったのにも関わらず、バス代がない時には、駅から病院までの何㎞という距離を一緒に歩きました。  というのも、大黒柱が仕事ができなくなったので、私達家族は一気に貧困生活へとなったから。  若干の感動話に水を差すようですが、部活もお金かかるんだから、辞めさせてくれればよかったのに。母にとっても私にとっても都合のいい選択ではないかと思ってやまない今日この頃です。  とにかくお金がなかったので、白米のみにふりかけをかけるか、近くのヤマ◯キでパンの耳をもらってきて、それを主食にして食べるかでした。パンの耳もジャムは高いので、インスタントコーヒーを甘くして、薄くして、そこに浸して食べていました。  家は、市営団地。県営だったかな? どっちでもいいけど、中学生にもなるととても狭かった。  思春期真っ只中、四畳の部屋が私の部屋。といっても、襖はひずんで閉まらないし、物は溢れかえってゴミ屋敷状態。そもそもが5人で暮らすには明らかに収納スペースが足りない。なので、ゴミ屋敷というより物が溢れかえって身の置き場がないといった感じです。  窮屈ではありましたが、家族仲はよかったので、苦痛ではありませんでした。むしろ、生まれた頃から団地住まいだったし、幼なじみ2人も同じ団地に住んでいたので劣等感はなかった。  ただ、たまに大きな一軒家に住むクラスメイトは羨ましかったなぁ……。
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