高校時代

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高校時代

 当時の高校入試は絶対評価でした。絶対評価を説明しろと言われても、説明できない程、しっかりと何かを把握できていません。ですが、とにかく学校が提示したボーダーラインに乗っかれば入学できました。  ただ、本当に頭が悪すぎたので、私は母の知り合いに頼んで家庭教師をつけてもらうことにしました。  家庭教師って高いんですよね。塾と比べるとどっちが高いかは知りませんが。頭が悪いので、当然塾にも通ったことがありませんから。  とにかく中学一年生の勉強から始め、なんとかやっていきました。ただ、勉強嫌いはなおらないので、次までにやっておいてねと言われた課題をやらずにいたりなんてこともしょっちゅうでした。  家庭教師の先生も、こんなにやる気のない生徒じゃ、給料もらってるのに合格させられなかったらどうしようかと気が気じゃなかったと思います。  家庭教師の先生は、母が昔一緒に働いていた先輩の娘さんでした。なので、幼い頃には、その方の実家にもよく遊びに行っていました。  家庭教師といっても、先程説明した通り、うちは団地住まいだったので、人を招き入れて勉強するスペースなんてありません。なんせ物が溢れかえっていますから、他人が座るところなんてないのです。  そんな中、家庭教師の先生の実家で勉強させてもらえることになったのです。快く迎えてくれて本当に感謝です。また、先生は車で1時間くらい離れたところに嫁いでいたので、私の家庭教師の日に合わせてわざわざ実家に出向いてくれていました。  それなのに、私は課題もやらない、勉強はできないの始末。それでも優しく丁寧に教えてくれました。今思うと本当に感謝しかありせん。  知り合いのよしみで授業料もかなり安くしてくれたようでした。  そんな私でしたが、その甲斐あってか、何とか高校受験は成功。私立単願入試でも落ちる時は落ちると聞いていたのでひとまず安心。  しかし、当然そこがゴールではないので色んな問題はやってきます。  まず一つは入学金、授業料。つまり、金銭面ですね。父が働けるようになったとはいえ、一旦貧困生活に陥ると、そこから這い上がるのはとても困難なのです。  なので、私は奨学金を借りて高校に通いました。後に18歳~22歳の間、働きながら自分で返済していきました。  この話はまた後程。  二つ目は、友達作り。  あんなにも孤立するのは嫌だからと、幼なじみについていく形で入部したバレー部。なのに、高校はあっさり二人と違うところに行きました。  二人は、バレーボールを続ければ、入学金が無料になると言われた高校に入学したからです。スポーツ推薦とは違う気がしますが、バレー強豪校だったので、経験者が欲しかったのでしょう。  そんな経緯があり、私は二人と離れ、一から友達作りをしなければなりませんでした。  三つ目は部活。一応、バレー部も見に行きました。しかし、もうスポーツはしたくなかった。ようやくあの地獄から脱したのだから、もうスポーツはしたくない。そんな一心でした。  そこで入部したのが、トーンチャイム部。きっと初めて聞く方の方が多いですね。私も当時初めて見ました。  簡単に言うと、ハンドベルのような楽器です。数人が横一列に並んで演奏します。形は、ピアノの鍵盤を一本ずつバラバラにしたようなもの。大きさは、高い音になるにつれて小さく、一番小さいものだと縦20cm×横2cmくらいでしょうか。筒状になっていて、リレーに使うバトンのようなものを想像していただけるとわかりやすいかと思います。  表面には太鼓のバチのようなものがついていて、弧を描くようにして振ると音がなります。一番大きいものは、縦1.2m×横15cm程もあるので、両手で持って大きく振り上げます。  それらを一人6、7本持って演奏します。  持っている音は、ピアノの鍵盤のようにドレミファソラシドがあって、#も♭もあります。#と♭は黒鍵同様黒い色をしています。  なので、譜面の自分の音のところをマーキングし、そこに合わせて自分の音を鳴らすわけです。  部活の説明会ではとても楽しそうに見えたので、そのまま入部しました。  先輩達は、皆優しくていい人達でした。  ちなみにいい忘れていましたが、女子高です。  新しい、楽しい学校生活が訪れると思いきや、部活の顧問が急にやる気を出し始め、私達が入部する前にはなかった筋トレが導入されました(笑)  ここでも、有名な吹奏楽部さながらの筋トレ、合宿等が盛り込まれることになり、入る部活間違えたと思った時には、地獄の始まりでした。
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