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第一章 3
「お帰りなさいませ、お姉様!」
「ぐぅっ!」
あの後しばらくして、先刻の言い付け通り身依の部屋に顔を出した途端、体当たりを食らいました。
掛け値無しのフライングボディーアタックです。
文字通り飛んできた身依の身体を受け止めながら——受け止めきれずよろめきながら、わたしは言います。
「久しぶりですね、身依」
「はい! お会いしとうございました!」
わたしもですよ、と答えながら、彼女の小さな身体を下ろします。とすん。軽い。存在の軽さ。
後ろ手にふすまを閉めて、外界との繋がりを遮断している間に、身依は屈託の無い笑みをわたしに向けていました。
「お姉様」
お姉様、お姉様、お姉様。何度も、何度も、存在を確認するかのように、身依はわたしの事を呼びます。胸に顔を埋め、すりすりと、愛おしそうに、仔犬のように。
わたしは、彼女の頭を撫でました。さらさらで、柔らかい指通り。小さな小さな存在。
気持ちよさそうに目を細める身依の顔に、先程までの“無機質さ”は微塵もありませんでした。
これが。
わたしのことをお姉様と呼ぶ今の身依が、本来の彼女です。
いや、本来などという言い方はおかしいのかもしれません。おこがましい、とも言えます。あくまで、わたしが知る、わたしに見せる身依はこうだというだけの話です。
普段の、綿がくり貫かれ人形ような身依も。わたしと二人っきりの時だけ現れる人懐っこい身依も。
どちらが本当で、どちらが偽物かなんてわたしに判断できるはずもないし、していいはずもないのですから。
結局のところ、『本当の自分』など誰にも分かりはしないのです。他人にも。本人でさえも。何故なら、そんなものはどこにも存在しないのかもしれないから——と、ここで。
ようやく、わたし達は、向かい合って置かれていた座布団に座ります。一緒に。……二つある意味がない。
それにしても、相変わらず何も無い部屋でした。それは文字通りの意味で、本当に、何も無いのです。およそ生活に必要な家具も、もちろん娯楽品も、衣装は別の部屋ですし、それも私服なんてものは一着もありません。
女の子の部屋だというのに、鏡すらありませんでした。この家では、鏡なんてものは跡継ぎ本人が見る必要がないのです。全ての世話は、使用人の仕事です。
部屋は、その人の性質を表すと言います。
本当に——何もない、がらんどうな空間。ただでさえ広い十六畳の部屋が、余計に広く見えます。
ここでの問題は、それを“本人が選んで造り出しているのではなく、第三者から与えられている点“でした。
それは、ごく最近どこかで聞いたような話でした。
「………………」
『時織』の名が持つ呪縛。
呪い。
真の意味での、代替。
新の理由での、代用品。
身の代わり、身代わり。身代(みよ)り。その名は縁起が——縁が無いので、転じて、身依。
ここまで――やるのですか。
不思議と、心がざわめきました。
怒り、とまでは言いません。ええ、言いません。他ならぬわたしに、そんな事を思う資格はないのです。しかし、胸の内から何かこう、沸き上がってくるもはありました。
時織友。
時織身依。
時織——。
三隔たる第三千世界こと三界が一角、時織とは、裏の世界では古くから《信仰》を司る家系でした。
世界中の歴史を紐解くまでもなく、《権力》の影には必ず《信仰》がありました。それは、人が最も忌み嫌うもの——死に、意味を与えたはじめての存在であり——『弱った人の心』に《信仰》は程よく響き、御しやすいからです。
洗脳、とも言えます。
そしていつだって吐きだめのようだった『社会』において、それは想像を絶する『集団』になりうるのでした。
《権力》に必要不可欠なものは何か。
力でしょうか。それともお金でしょうか。
答えは、『群体』です。
軍隊などまさにその一部でしかなく、金塊などただの付属品でしかありません。
人が群れれば、そこには武力が生まれ。
人が群がれば、そこには財力が生まれ。
そして——『支配』が生まれます。
《権力》が、発揮されるのです。
故に、『群体』を生む《信仰》は、まさしく《権力》の源流と言えるでしょう。
少なくとも、時織は、ずうっとそうしてきました。
あちらとこちら、《表》と《裏》の世界を跨ぎながら。
ありとあらゆる媒体を持って、《権力》を
発揮してきました。
そんな時織の中で、後継ぎとして産まれた身依。
大衆の信仰を注ぐ器に、中身など不要。それが現実。だからこその現状。
虚で。空っぽで。空虚で——中身を持たせない為の教育を、施される。
人身御供——それは、本来、わたしの役割だったはずでした。
わたしの、代替品である、身依。
わたしは、彼女に対してどのような感情を抱けばよいのでしょうか。何を、してあげればよいのでしょうか。
「なんだかなあ……なんなんでしょうね」
自分でもよく分からなかったので、とりあえずの逃げ口上を呟いておきました。わたしの膝に乗る身依が、不思議そうにわたしを見上げていましたので、再度頭を撫でます。しばらく、くすぐったそうにわたしに身を委ねていた身依でしたが、はっとしたように口を開きました。
「お姉様、お姉様! お久しぶりです!」
「えっ、あ、はい——って、久しぶりも何も、つい半年前に会ったでしょう」
言って、流石に半年前でついは無理があるのかなあと思いました。
「お姉様、1週間は7日ですよ」
「はいはい」
「1日は、24時間です」
「偉い偉い」
褒めてあげました。
「えへへー……。ということは、この間お会いした時から……えっと…………とにかく、私にとっては存分にお久しぶりなんですよ!」
身依の、屈託のない、目一杯の笑顔。子どもの笑顔というのは、どうしてこうも眩しいのでしょうか。
「そうですよね……ごめんなさい、寂しい思いさせて」
わたしは迷います。
迷い、戸惑います。
どうして、そんな顔ができるのかと。そして、わたしは、それに対しどんな顔をすればよいのだろうかと。
「えへへー。お姉様、大好きっ!」
身依が抱き付いてきます。わたしの胸に、顔を埋めて。愛おしそうに。本当に、愛おしそうに。
「お姉様の匂いがするー」
わたしは——そんな身依を抱き締めようとして、出来きませんでした。
所在が無くなった手を、そのまま身依の頭へ。撫でます。わたしには、こんなことしかできません。してやれません。
それでも。
それなのに、身依は笑うのです。まるでそれしか知らないみたいに。
すぎり、と胸が痛みました。
——罪悪感、贖罪。
それこそ、自分本位、ですか……。
「お姉様!」
「はい?」
「お姉様のお話、聞かせてください!」
「もちろん、いいですよ」
身依は、笑う。
わたしは、最後までうまく笑えませんでした。
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