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第二章 0
夢を見ました。いつもの事です。
真っ白な部屋の中、鎖のようなチューブに繋がれたまま、わたしは俯いていました。
どこを見ても一緒な空間です。だだっ広い部屋には、彩色や調度品などは一切ありません。床も、壁も、天井も、白く、白く、白く、白く、白でしかありません。
″何も無い“、というのは、人の心を殺します。緩やかに、腐敗させ、狂わせます。
わたしが俯くのは、自分の存在を確認する為でした。色が無いこの世界に置いて、唯一の彩色。肌色と、爪には薄い桃色。大丈夫、わたしは、ここにいる。
……大丈夫?
いえ、大丈夫では、ありません。
わたしは、消えてしまいたかった。いなくなってしまいたかった。
死んで——しまいたかった。
繰り返される実験の中、
絶え間ない苦痛と苦悶の中、
『無』——の中。
わたしは、生きたいとは思っていなかった。
繰り返される、自問自答の日々。
何故、わたしは生きているのでしょう。
それは、呪いの言葉。
死んだ人のためとか。
亡くなった方のためとか。
死人を言い訳にして。
自分のために。
自分の心を守るために。
それを認めるのが怖くて。
誤魔化すのが精一杯で。
逃げるしかなくて。
逃げても堂々巡りで。
ならばと、
目を逸らしても。
目を閉じても。
何も変わらなくて。
もがいて。
あがいて。
それでも、どうしようもなくて。
壊れてしまえばいっそ楽なのにと。
死んでしまえばいっそ楽なのにと。
けれど、
壊れるだけの弱さも、
死ぬだけの強さも、
どちらも持ち合わせてはおらず。
中途半端に。
曖昧に。
続けた結果が——私です。
本来ならば続かないものが続けば、
あり得ないことが、偶然に、
起こり得ないことが、必然に
成ってしまえば、
存在しないはずのその先は、
《人でなし(ばけもの)》の、できあがり。
何故、わたしのような存在が、存在を、赦(ゆる)されているのでしょう。
赦されたくは、なかった。
許して欲しくなど、なかった。
罰を与えて、欲しかった。
罰——そう、罪です。
わたしは、赦されざる、罪を犯しました。
わたしは、被害者などではなく、ただの加害者だでした。
なのに、のうのうと、こうして、生きている。
死んじゃおうかな——そう、思った。
その時。
顔を上げると、いつの間にか。
気付かないうちに、そこに、一人の子どもが立っていました。
まるで、お伽話に登場する魔女のような、真っ黒な女の子です。
足元まで伸びる髪は、黒曜石のように深い深い漆黒色をしていました。燃えるような黄昏色の瞳。肩口が大胆に空いた、ドレスのようなワンピース。腰には、大きなリボンがついています。
少女は、静かに、佇んでいました。
やや吊り目ぎみの大きな目で、ただこちらを見ています。
驚きました。ここは、研究員以外、誰も入らない部屋だからです。
どこから入ったのか、何故そこにいるのか。
そんな疑問よりも先に、わたしは存在を問います。
——あなたは?
少女は答えます。
——儂は、儂じゃよ。それ以外の何者でもない。
少女は、老婆のような口調でした。しかし、わたしは気にしません。
——お名前は、何というのですか。
少女は笑います。老獪に、笑います。見た目に似合わない笑い方でした。ちがはぐです。
——名前、名前……のう。そんなものは、お主よ。なんの意味も無いよ。言ったじゃろ、儂は儂じゃよ。個の存在とは、本来、それだけの事でしかないのじゃ。それだけで、十分なのじゃ。のう?
少女が、何を言っているのかわたしには理解できませんでした。
——すいません。何を、おっしゃっているのか分かりません。
機械的に言います。感情を表現するのは、苦手でした。
——ははは、Siriか、お主は。まあよい。それはさておき、人に名を問うならば、自分から名乗るのがマナーじゃよ。
少女は何がおかしいのか、からからと笑います。
——名前……わたしの名前は、NT-01と申します。
——は? なんじゃそれは。
——わたしの、名前です。研究員さんがそう呼んでいました。
——いやいや、それはただの識別番号じゃろ。それとも、名など個を識別する番号でしかないとのたまう厭世家(えんせいか)か、お主は。儂がいうのはなんじゃが、おかしいじゃろ。
わたしは、首を傾げました。何がおかしいのか分からなかったのです。
——はん。なるほどのう。
そんなわたしの様子を見て、少女は辺りをきょろきょろと見回し、そして何かを納得したかのよう頷きます。
——なるほどなるほど、なるほどのう。はん、随分とまあ、つまらんことをするじゃあないか。
何かを蔑むように、少女は吐き捨てます。次に、わたしを見て、にぃっと笑うのでした。
表情が豊かな子だなあ、と思いました。
ころころと移り替わります。
——よし、ならば、儂が名を与えてやろう。喜ぶがよい。光栄に思うがよい。頭(こうべ)を垂れて、かしずくがよい。儂が直々に名を授けるのは、お主で″8人目“じゃ。
結構多いなとは思ったのですが、わたしは口には出しませんでした。空気を読む、という事をこの時覚えたのです。
——はあ……なるほど、ありがとうございます。
頭を下げます。少女は、満足そうに胸を逸らしました。無い胸が、更に強調されます。
——うむ、そうじゃのう……。
そして、彼女は言うのです。
真っ直ぐな瞳で、
真っ直ぐにわたしを見て、
真っ直ぐな想いで、
存在に、意味を、
存在に、意義を、
わたしという存在を、
世界に——確立する、
その言葉を。
「お主の名は、『友』じゃ。これからは、それがお主の名であり——そして、儂とお主の関係を表すたった一つの言葉じゃ」
そして、わたしは夢を巡り、現実へと回帰する。
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