第二章 3

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第二章 3

——————   「おーい、おーきーろー」  頬を、ぺちぺちと叩かれる感触。「うー」わたしはゾンビのような呻き声を上げながら、目を開けました。  身体中が痛い。床が冷たい。どうやら、わたしは畳の上で直接寝ていたようでした。何故? 自分で起きるのは得意なのですが、物や他人に起こされるのは、苦手でした。急激に現実へと引き戻され、意識がうまく働きません。  時刻を見ると、午後10時半。  え、と……あれから、どうしたんでしたっけ……。  あれから…………それから? 「——っ!」  わたしは、飛び起きました。ようやく意識が現実に追いつきます。  慌てて振り返ると——わたしの部屋で、わたしの傍(かたわ)らで、白色の少女が、それはもうどうどうと、胡座をかいて座っていました。 「よかった、起きたんですね……」  あれから——そう、事務所で恭子さんから依頼を受けて、応接間で寝ている少女を発見してから——わたしは、少女が起きるのを待っていたのですが、待てど暮らせど、一向に目覚める気配がありませんでした。  そこはかとなく心配になり、身体を揺すったり、声を掛けてみたりするも反応は無し。事務所には仮眠用具等の準備は無いので、このままでは風邪をひいてしまうかもしれないと、ひとまず、ビルの3階にある所長の自宅へ運ぼうかとも思ったのですが、家主が恭子さんに連れ去れていたので、鍵を突破する方法がありませんでした。  そこでわたしは、少し迷った挙句——結構悩んだ末、事務所の近くにある、自分の部屋に連れ帰る事にしたのでした。  自分の部屋へ他人を入れることに、抵抗はありましたが、恭子さんの依頼を引き受ける事になった以上、当然の如く遅かれ早かれです。  そして、何故か部屋に置いてあった少女用の着替え一式が入ったバッグ(恭子さんの仕業だと思われます)から、適当に寝巻きを取り出し、彼女を着替えさせて、布団を敷いて寝かせ——少しだけ横になろうと畳の上に寝転がり、いつの間にか、寝てしまっていたようでした。寝不足がもろにたたっていました。不覚です。 「いやー、目を覚ましたら、知らんやつが寝ておってびびったぞ」  こちらの台詞、とは言いませんでした。わたしは大人なのです。  何よりも——からからと笑うその少女に、わたしは、どうしようもなく『彼女』を重ねていました。  けれど、だからこそ、分かるのです。  それは髪色の違い、などという上辺の要素ではなく——今、目の前にいるこの少女と、『彼女』は決定的に違うのだと。  わたしには——分かるのです。 「えっと……、恭子さんから、わたしの事は聞いていますか?」 「キョウコ? 恭子……おお! あの凄絶な女の事か!」  ぽん、と手のひらを打つ少女。  全然、物怖じない子だなあ……と、思いました。目を覚ましたら知らない部屋で、知らない大人(ここ重要です)といて、それでも全く物怖じていないその様子には、感心すら覚えます。それは幼なさ故か。それとも、生来の性質によるものなのか。どちらにせよ、そこはかとなく羨ましくもありました。 「うむうむ、聞いておるぞ! うぬの事は、恭子から聞き及んでおる。ええと、不出来な娘だがよろしく頼む、と。——なんじゃ、うぬ、あの女の娘なのか?」 「いえ、厳密には違うんですけど……」  厳密に、というか存分に違うのですが。しかし、それを初対面の、こんな幼い少女にどう説明したものか、とわたしが悩んでいると、 「ふん、まあよい」  少女はあっけらんと言い放ちました。  彼女の中でその情報は、あまり重要ではなかったのでしょう。老人のような喋り方。時折見せる、どこか達観した表情。その切り替えの早さも含めて、彼女』にそっくりでした。    恭子さんが、説明になっていない紹介しかこの少女にしていないと判明したので、わたしは、これからの同居人に自己紹介をする事にしました。 「わたしは、友。これから、よろしくお願いしますね」  元来、人見知りであるところのわたしですが、その性質は子ども相手には発動しません。おそらく、身依の存在が大きいのでしょう。妹と同じ年頃の子どもは、皆微笑ましく思います。 「うむ。わしの名は——あれ、これは言ってよいのじゃったかのう……、まあ、よいか。わしの名は、『いろは』。今後とも、よろしゅう頼むぞ」  少女——いろはは、そう言って、破顔します。満面で屈託ない、満天の曇りのない、星空のような笑顔。  眩しいとさえ、感じました。  羨ましいとは、思いませんでした。  まあ、それはそれとして。  気になる事を言っていましたね、今。  『言ってもよいのじゃったかのう』? ならは、言ってはいけないことがある——? はて、聞いていないですよ、そんなこと。 「あの、ちょっといいですか……いろはちゃ——」 「いろはじゃ」  被せ気味に、断言されました。 「わしの名は、いろはじゃ。その呼び方は——気に食わん」  鋭く目を細め、眉間にしわを寄せ、物凄く不満そうでした。事情は分かりませんが、きっと色々あるのでしょう。それをいちいち掘り起こす程、わたしは無粋ではありません。 「では——いろは」  わたしは言い直し、続けます。 「わたしに、言ってはいけない事って、何ですか? 恭子さんから、何か言われているのですか?」 「ぎくっ」 「ぎくって言いました? 今」  実際に言う人、初めてみましたよ、わたし。 「な、なんのことかのう。わし、何も言っとらんよ?」  どうやら口笛を上手く吹けないようで、乾いた空気を唇から吹かしながら、いろはは目を泳がせます。    白々しいとぼけ方でした。というよりは、残念なとぼけ方でした。べたべたです。どうやら、嘘を吐けない性格のようです。 「まあ——いいですけど」  子ども相手に詰問するのも人としてどうかと思いますし。弾劾すべきは、あの暴虐無人ただ一人です。 「わかりました。よしとしましょう。今のは、ナシ。わたしとあなたは、有効な関係を築けるはずです」 「おお、そう言ってくれると助かるわい。あの凄絶な女、いやさ凄惨な女、怖いからのう。『あまり″余計な事“を言うな』と言いつけられている事がバレれば、どんな目にあうか分からん」  …………えー。  結局、言っちゃうんですか、それ。  正直者が、過ぎません? 今時、幼稚園児でも、もう少し上手に嘘吐きますよ。  だんだん可愛そう——いや、可愛くなってきました。  わたしは聞かなかったことにして(あの人に問い詰めれば済むことです)、「そうですね」と相槌をうち、そして、やや強引ともいえる話題転換を試みます。 「そういえば——寝汗も結構かいてしまいましたし、わたし、銭湯に行こうと思うのですが、いろはも一緒にどうですか? お近付きのしるしに、奢りますよ」  子ども相手に、奢ることを宣言するわたしという人間がそこにいました。あまり自覚はしていなかったのですが、もしかしてわたし守銭奴なのでしょうか……。 「銭湯?」  可愛らしく小首を傾げるいろは。  ふむ……? 世間知らずな子なのでしょうか。もしかすると、どこぞのお嬢様?  「銭湯、ご存知ない?」 「戦闘なら、知っておるが」  言って、ファイティングポーズを取る彼女。“その構えは、恭子さんと同じもの″でした。ということは、あの人は、この子の前で戦闘をしたということでしょうか。わたしの嫌な予感メーターが、3目盛程増えました。 「そのせんとうではなく、お風呂の事ですよ。外に出掛けて、みんなで入るお風呂です」 「ほう? それはそれは、なんとも興味がそそられる話じゃ」 「では、どうします?」 「もちろん、行くに決まっておる!」 「じゃあ、行きましょうか」  では——いざ、準備。  わたしは立ち上がると、いろはのお着替え鞄をあさり、下着の替え(とてもフリフリでした。絶対に恭子さんの趣味です)を取り出しました。そして寝巻き姿のいろはを見て、着替えさせるべきかどうか少し悩みます。銭湯は徒歩2分なので、とてもご近所さん。ただ、湯冷めしないとも限りません。  結局、着替えさせることにしたわたしは、いろはを手招きします。小動物のように駆け寄ってくる彼女に、万歳のポーズをとってみせ、素直に真似するのを待って、服を脱がせました。「服くらい、自分で着替えられるぞ……」という反論に謝りながら、彼女が元着ていた白色のワンピースを着せます。  そして、自分の着替えも用意し、念のための上着を一枚と入浴道具一式を持つと、いろはと一緒に部屋を出ました。  しっかりと戸締りをし、いろはへと手を差し出してみます。こちらから手を握ろうかとも思ったのですが、初めは彼女の意思に任せた方が賢明だという思いからでした。  あるいは——。  ほどなく握り返されたその手に、期せずして同居することになった彼女の存在に、わたしは——身依を、妹を、重ねているのかもしれませんでした。  妹に。  してあげたかったこと、してあげられなかったこと。  してあげたいこと、してあげられないこと。  しなければ、ならなかったこと——しては、いけなかったこと。  それらを、投影する為の、『代替品』を求めていたとでもいうのでしょうか。  後悔。  釈明。  贖罪。  だとすれば——  なんともまあ、滑稽な話でした。      酷(ひど)く歪(いびつ)で、  醜(みにく)く歪(ゆが)んだ。  人でなしの、お話です。  
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