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なにを言っているのか分からなかった。
分からないけど、分かった気がした。
理解してはいけないけれど、納得することは出来た。
腑に落ちる、というのはこういう気持ちなんだ。
あの得意げに見えた藍の表情。
今思い返してみれば、恍惚の表情という説明もつく。
私もアイスコーヒーにシロップを流し込む。
そして、ミルクも入れた。
ストローで口に含んだ黒は、なんの味もしないように感じる。
「……ほら、海が好きな男の話をしたでしょ?
あれ私なの」
「私ってなにが……?」
「誘惑したのが」
店の中には私たちしかいなかったけれど、あえて違う言葉を使ったんだとすぐに感じた。
藍は人間を殺したらしい。
つまり青白くなって帰ってきた、というまさにその現場にいた。
……欲望を爆発させて、その男性を殺した。
溺れさせた?
欲求を満たしてあげた?
昨日よりも強い刺激。
けれど、どこか愛おしく感じる。
今にも泣き出しそうな藍の瞳は、私を食い入るように見つめてくる。
他人の領域に土足で入ってはいけない、と私は思う。
けれど、藍はその領域の扉を開けてくれた。
「……愛、私が謝るべきよ
ごめんなさい、本当にごめんなさい
まだ、間に合うなら自分のフェチズムを認めるべきではないわ
隠し通しなさい、私の助言は無視して
……私はあなたの人生で自分の性癖を確認したの
私は、ただのクズよ」
そして救いを求めている。
たかが性癖、されど性癖。
自分のフェチズムを認めれば楽になれる、と言っていた彼女が苦しんでいる。
自身の癖を真正面から見て、混乱している。
「2人だけ?
その男性と、私だけ?」
「……そう
昔って嘘をついたけど最近の話なの
2人で海に行って、そこで昨日愛に話したみたいなことを言ったのよ
それがキッカケ」
左目から綺麗に涙を流した彼女。
自分のフェチズムをその男性で認識し、確信したのは私。
そういうことなんだろう。
「まだなにもしてないわよね?」
「……するわけないじゃない」
藍は、自身の手で人を殺してはいない。
フェチズムを利用したのは間違いないけれど、それ自体に快感を覚えてしまっただけ。
恐ろしく震えている藍。
私のその言葉に──よかった…。と安堵する。
「でも少しだけ前向きになれた気がする」
「……え?」
怯えるように声を裏返した藍。
フェチズムはやはり変えることが出来ない。
今の藍みたいに、認めてしまえば恐ろしい。
……藍に自覚させられた自分の性癖は今でも怖い。
世間的に、認められるはずがない、認めていいはずがない。
けれど、キッチンで泣いた私そのものが、目の前にいる。
それがどれほど救いなことかも、世間は知らない。
藍の今、この姿に私はようやく自分のフェチズムを認められる気がした。
虚しいのは私だけじゃない。
……そして、私は孤独ではない、と。
共有出来る人間がいる。
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