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──なにかが朽ちていく様が、好きだった。 「どうした?」 「あ、いや……なんでもない」 夫が不思議そうにこちらを見ている。 私は少しの間下唇を噛み締めて、それに耐えた。 冷蔵庫に入っていたマスカットが、ひとふさ傷んでいるのが引き金である。 気持ちの悪い匂いがするものでもない。 虫が這いずりまわるわけでもない。 ただただ、傷んでいるだけだ。 けれど、それが私にとって悩みの種になってしまう。 もっと腐れ、と誰が囁いた気がした。 「……明日、お義父さんのお見舞いに行ってくるわ」 「そんな毎日行かなくてもいいよ 喋られるわけじゃないんだし……」 自分の父だというのに素っ気ない言葉を使う夫。 それが私を想っての言葉だとは、重々承知だけれど、少しだけ恐ろしさを覚える。 彼は私がお義父さんのようになっても、そんな無慈悲な言葉を吐くのだろうか、と。 傷み始めたひとふさを生ゴミに捨て、綺麗なものだけを洗う。 その瞬間にも傷んだそのマスカットが気になって仕方がない。 自分を奮い立たせるように、食器棚からお皿を取り出す。 シャインマスカットは、どのお皿に盛れば美しく見えるだろうか? 頭の片隅にある、傷んで変色した物を少しでも消し去るために意味のない考えをめぐらせる。 考えて考えた挙句に、なんの変哲もない白いお皿に盛り付けた。 「……親父には悪いけど、貯金がそろそろ底を尽きそうなんだ」 エアコンの効いた部屋で麦茶を飲みながら、そう他人事のように呟く夫。 テレビは野球の試合が映っている。 照りつく暑さに負けない若々しい高校生を見て、命の選別をしようとしているのだ。 こちらも水々しく熟れたマスカット。 洗った水を弾き返す様子は美味しそうだ。 ことり、とお皿を置く音がした事にようやく夫は目線をテレビから外す。 「お、うまそう」 「……暑いから早く食べないと腐ると思って」 夫にとってなんの意味も持たないその言葉。 でも、私にとってはもっとも皮肉的なものだ。 三角コーナーに捨てられたものが、頭をぐるぐると駆け回る。 残像のように私の脳髄を刺激する。 じりじりと焼け付く太陽。 すだれのおかげで少しはマシだけれど、殺人的なこの暑さに体力を奪われる。 私は震える下半身をどうにか保ちながら、氷の入った麦茶を飲み干す。 底に溜まった氷は角が取れ丸くなっている。 「そろそろ子供も欲しいだろ?」 腐った果物を捨てるのが人間。 腐った命を捨てるのも、人間だ。
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