『生い立ち』

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家が、生活保護だと判ったのは、中1… 学校費は、集金袋を渡されて学校に提出してたけど、徴収して暫くしてから、職員室に呼び出されて渡される封筒… 入っていたのはお金… 何故なのか判らなくて、兄も渡されたか聞くと… 兄…『生活保護だから戻る金だよ。』 何も分からなかった私は、兄から… 兄…『生活保護なんて恥以外何でもないから、学校で余計な事言うなよ!』 と、どういうモノなのか説明された時に言われて判った… 『貧乏の象徴』と言った兄… (無知な時代での認識でした…不正受給でない方々に、心からお詫び申し上げますm(_ _)m理解出来て無くて、大変申し訳ありませんでした(T_T)) 生活が悪化しても、学校の集金、小遣い、食費だけはやってくれた父… 戻るお金を渡すと、そこから小遣いを渡して、嬉しそうに飲みに行く父… 200~300円のおかず代が、500円ずつになったりもした… 私に対しては優しい父でも、 『飲みに行く体力があるなら働けよ!(怒)』 『寝てる時間があるなら家の事やれよ!(怒)』 と、父に対しても募る不満… 優しくされるのがうざくて、素直になれなくなっていった… 兄が高校に行けたのは、高校に入ってから毎朝新聞配達をして、学費を自分で出してたから。 入学金や制服等の準備金は、働いて返すからと、母は了承して出した… 私が、兄と同じ様に働いて返すから、定時制に行きたいと言っても… 母…『あんたに出すお金なんてある訳ないでしょ!』 父は許可しても、反対する母… 僅かな望みを抱いて、一度だけお願いした『高校に行きたい』は、わかっていた母の言葉で、『やっぱり…』と、スッパリ諦めました♪(^-^) 因みに…中2の時から、親との三者面談は一度もしておりません…m(_ _)m 常に、担任と二人だけの個人面談でした♪(* ´ ▽ ` *)
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