学校ごっこ

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学校ごっこ

 来年から小学校に入学する準備に9月から私とキヨは塾に通うことになった。幼稚園から帰って来たら、母の車で街の中の大きなビルの一角にある教室に行く。  挨拶の仕方、ひらがなや数字の正しい書き方等を勉強するのだと思うけれど、私には、塾の先生が話す言葉の意味がどうもわからなかった。  キヨに説明されたら、わかるけど、キヨの説明がないと、どうすればいいのか全くわからなかった。  塾の女の先生は私がキヨに頼ってばかりいるので、今度からキヨと離れて座るようにと言った。 「もう、塾に行かない。」 と私は言った。キヨもやめると言う。    他にも英語塾とか、合唱団とか、体操教室とか、いろいろ試しに連れて行かれたけれど、どこに行っても同じだった。  私は小学校に入るための検査をされた。どういう理由かわからないけれど、私は小学校で普通にみんなと一緒に勉強できるかどうか、わからないと母に言われた。  それから父と母と塩崎先生とで相談して、私とキヨは某教育大学附属小学校に入るための準備を始める。そこには普通の子と一緒に勉強するのが困難な子どもが学ぶ特別な教室があるという。キヨはどこにでも入れるから、せめて私にとって一番良い条件の学校を選択したいと親たちは考えたらしい。  キヨは私が特別な教室に通わなければいけないことを心配して、毎日のように学校ごっこをし始めた。 「今から練習すれば、きっと僕と同じ教室で勉強できるようになる」 とキヨは言って、ノートにひらがなや簡単な漢字を練習したり、いろいろな問題集を解いた。ラジオ体操も覚えたし徒競走やマラソンの練習もした。兄が帰って来たら、兄が先生役になり、理科や音楽、書道の練習もした。  キヨは兄に質問した。 「メイは何でもできるのに、なぜ特別な教室に通わなければいけないんだろう。」  兄は少し考えて 「ほかの子と一緒だと先生の話を聞くのが難しいらしいよ。僕やキヨが、メイのためだけに話しかけている時は、ちゃんと理解できるけど。」 「じゃ、ずっと僕がメイの隣に座っていれば良いんじゃないの?」 「僕が先生なら、そうさせるけど。大人はいろいろ面倒くさいからなぁ。」 兄は心配そうに私を見た。    次の日、兄は塩崎先生にピアノを習っている友だちのチョという不思議な名前の男の子を連れて来た。塩崎先生にピアノを習っている子どもは、これで全員だ。  チョは兄の同級生の小学3年で、兄と同じくらいピアノが上手かった。コンクールでは兄の一番のライバルだった。兄より背が高く手も大きく、ショパン の『英雄ポロネーズ』をものすごい迫力で演奏していた。  チョを先生役にして学校ごっこをしてみるという兄の試みだった。  私は初め、やっぱり指示されていることを理解できなかった。兄やキヨは『知らない子ども』の役だった。先生役のチョだけに頼ってもいいというルールなのだ。 「先生、もう一回教えてください」 と私は何度も聞いた。チョはとても優しい雰囲気の男の子で、話し方はおどおどしていたけれど、私の後ろに体を寄せて私の右手を持ってノートに文字を書いたりしてくれた。 「先生、優しすぎる!」 と兄のレンは笑って文句を言った。  学校ごっこは面白く、たまにはキヨも先生役になった。キヨは図工の先生役が好きだった。 「今日のテーマは『こんなネコいる訳ない』です。こんなネコいる訳ないけど、いたら面白い、いたらカッコいい、いたら怖すぎる、そういうネコを自由に想像して描きましょう。」 などと、キヨらしい楽しい課題を出す。  チョは国語の先生役が好きだった。漢字の成り立ちとか、四文字熟語とか、俳句の季語とか、難しいことを教えた。難しいことを説明して私が真剣に聞かないと理解できないように考えてくれたらしかった。  兄は算数の授業が好きだった。兄は本当の先生みたいに教え方が上手く、私は足し算、引き算、割り算、掛け算の意味を理解した。  チョに私が慣れてしまった頃、兄は違う友だちを毎日のように入れ替えて先生に招いた。ハキハキした女の子や、モッソリした男の子や、同級生の6年生の姉さんや5年生の兄さんなど、いろいろな子がやって来た。  他の子が先生に招かれる日も、チョは毎日来た。他の子も、先生役で来た後に生徒役でも遊びに来たりして、私の家の和室はちょっとした塾みたいに毎日にぎやかだった。  兄はまるで教育コーディネーターみたいに熱意を持って、私が普通学級で勉強できるようになるためのプログラムを工夫した。  母は、毎日の学校ごっこを見て 「レンは将来、どんな仕事についても上手くやれるわ。普通のピアニストになるなんて、もったいない気がしてきた。」 と言って笑った。  父は、兄レンの成果を確かめるように、時々私に難しいことを質問したり、やらせてみたりした。例えば 「4Bの0.3のシャープの芯を買ってきて」 と言ったり 「明日までに、空も飛べて地面を歩くこともでき水の中も泳げる生き物をいくつ見つけられるかな?」 みたいな宿題を出したりした。  チョはよく私を抱き上げて軽く振り回したり、おんぶしたりして遊んでくれた。楽しかったので私は 「もっとやって!」 と何度もせがみ、チョは喜んで何度でも遊んでくれた。  チョのお母さんは私にステキなレース編みのカーディガンを編んでくれたり、かわいいポシェットを作ってくれたりした。時々、チョと一緒に家に来て、母とお茶を飲みながら時間を潰したりするようになった。 「うちには女の子がいないから、メイちゃんにプレゼントできるの、とっても楽しみなの。何か作ってほしいものない?」 と、チョのママは何度も私に聞いた。 「ヒラヒラした水色のワンピース」 「かわいい髪をしばるゴム」 「赤ずきん」 私は思いつく適当なことを言って母に叱られたが、チョのママは本当にステキなワンピースや絵本に出てくる通りの赤ずきんなどを作ってくれた。  チョは来るたびに 「メイちゃん、かわいいね。」 と言って、私を抱っこしたり髪を撫でたり髪の匂いを嗅いだりするようになった。  キヨはチョに嫉妬した。けれどチョがいる間は気にしないふりをしていた。チョが帰ると私と二段ベッドの上に行って、私を痛いくらい強く抱きしめたりした。この頃からキヨは私にディープなキスをするようになった。何か、どうしようもない気持ちを表現したかったのだと思う。 「誰と仲良くしてもいいけど、キスしたらダメだよ。キスしてもいいのは僕だけだ。」 とキヨは毎日のように言った。
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