セオ 2

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セオ 2

 次の日の放課後、エリックの家に行った時、セオは玄関にいなかった。エリックが言う通りなら、もう私には飽きて他の事に興味が移ったんだと思う。ちょっとショックだった。  ピアノの部屋に行くとセオはピアノを弾いていた手を止め、エリックに何か言った。 「お兄ちゃんが、今どうしても僕と合わせたいんだって。ちょっと聞いてもらってもいい?」 「うん。」  ファリャの『スペイン舞曲 第1番』だった。セオのピアノはもちろん素晴らしかったが、それよりエリックのバイオリンの魅力に私は圧倒された。あまりの出来栄えに私はボーッとした。鋭くも魅惑的なバイオリンの音色が私の魂をどこかへ連れ去った。  その頃の私は精神の大半を音楽が占めていて、音楽の魔力に全身を操られてしまうのはとても簡単だった。エリックは演奏を終えてソファ―で半分失神している私の隣に来て腰かけた。  セオは激しくピアノを弾き始めた。ニコライ・カプースチン『8つの演奏会用練習曲』 Op.40。その時の私には、その曲は現実世界の音楽には聞こえなかった。今まで知っている音楽のイメージがバラバラに分解されて新しい未知の風景が見えてくる。その斬新さに満ち溢れたエネルギーは私の神経を物理的に強引に組み替えた。  幼ない脳の中で、それらは言葉を介さず感覚として開花した。吸い込む空気が変わった。見える景色が変わり時間の流れが複線化した。  セオは続けてラフマニノフ『ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調』Op.36 第1楽章、スクリャービン『エチュードNo. 42』 Op. 5 を弾き終えると、私のすぐ目の前に来て言った。 「バッハ モーツアルト ベートーヴェン ショパン リスト ドビュッシー スクリャービン ラフマニノフ カプースチン OK?」  エリックが解説した。 「お兄ちゃんは昔から少しづつ音楽は変わってきたって言いたいんだ。メイに何か教えたいんだ。」 「エリック。私にはわかった。セオが伝えたい音楽を感じた。」 「メイ・・・」 「セオは病気じゃない。普通だよ。普通じゃなく、普通よりもっともっと・・・もっとずっとステキ。私の言葉をセオに伝えて!」  エリックがセオに私の言葉を伝えると、セオはソファーに座っていた私の前にひざまずいて急に声を上げて泣いた。私は驚いたけど、セオが泣き伏しているので彼の背中を撫でた。  エリックのお父さんが帰って来た。セオはまだ泣いていた。 「あららら?メイちゃん、大きいお兄ちゃんを泣かせちゃった?」 と言って笑った。エリックは事情を説明した。お父さんはセオに何か話しかけた。セオは泣き止んでソファ―に座り私を隣に座らせ、時々私に微笑みながら、お父さんに何か一生懸命に話した。  『自分の体臭がキツイことは自分でも知っているけれど、誰もが自分を裂け、誰も自分に触れてくれないことで閉ざされていた心の扉を、メイは思いっきり開けてくれた。メイは僕のすべてを変えてくれた。僕は今まで、どれだけ寂しかったか。どれだけ孤独で、どれだけ世界を憎んでいたか。今は、もう世界中が光り輝いて見える。メイが僕を明るい世界に連れ出してくれた。』 というセオの気持ちを、お父さんは私に伝えてくれた。  私はお父さんに言った。 「セオがたくさんピアノを弾いてくれた。セオとエリックの『スペイン舞曲』も素晴らしくて驚いた。自分もいっぱい練習してピアノで言葉よりすごいことを伝えられるようになりたい。セオのピアノは私にいっぱい伝えてくれた。優しいだけじゃなくて、ガンガン元気に生きる面白さとか、新しい世界をどんどん見た方がいいこととか、ピアノで教えてくれたよ。」 「そうか!すごいな。メイちゃん。セオのピアノはしっかりメイちゃんに届いたんだな。」  塩崎先生と帰る車の中で、私は興奮して話した。 「スクリャービン、ラフマニノフ、カプースチンをセオが弾いた。すごかった!すご過ぎて未来に行って来たみたいだった。」 「未来に行って来たんだよ、きっと。明日は土曜日だから、僕もキヨといっしょにセオのピアノ聞きに行こう。」  
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