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セオ 4
今日から夏休み。朝ごはんを食べながら、兄のレンと昨日の話を報告し合った。兄が言うには、エリックのお母さんはセオについて塩崎先生に相談していた。
「自分の子どもなのにセオの匂いで吐きそうになる。本当に吐いてしまうことも度々ある。ひどい母親だと思う。悩み苦しんでいる。」
エリックのお母さんはそう言って泣いた。
塩崎先生は、
「気晴らしに、みんなといっしょに出かけよう。メイはセオと2人でも心配ない。大丈夫!」
そう言って、エリックのお母さんを連れ出した。
レンは大人びた口調で、ため息混じりに言った。
「ツラいだろうな。エリックもお母さんも心の中では自分たちを責めてるんだ。エリックのお父さんだけ、本当はどう感じているかわからないけど、セオといっしょにいても平気らしい。だけど、匂いって難しい。僕もセオの匂いはキビシー。」
私は兄の話を聞いて嬉しく感じたのは、塩崎先生が、私がセオと2人でも心配ない、と思ってくれたこと。先生がそう考えて、みんなで出かけることに決めたこと。先生は私を信じてくれている。その気持ちは自分の中の見えない部分が何か明るく照らし出されるように感じた。少しづつ成長するというのはこういうことなんじゃないかと思った。
母は私が犬に嚙まれそうになった話を聞き、
「犬はセオの匂いに反応したのかもしれない。」
と言った。
「セオの池に逃げるという判断は正しかったと思う。二人が無事だったのはよかった。セオがどんな匂いか気になる。セオにお礼をしたいから、今夜でも家に夕食にお招きしてはどうかしら?」
と言う。
日曜日だったので父も家にいた。父は
「セオを夕食に招いて、もし母さんも苦手な匂いだったらどうするんだ?」
と母に聞いた。
「ムリだったらメイと二人で遊んでもらえばいいじゃない?」
そんな話になった。母はさっそくエリックのお母さんに電話した。私の母は思い立ったら、すぐ行動する。誰とでもすぐ仲良くなる。
午後2時頃、エリックのお母さんとエリックとセオが家に来た。家に着いてすぐ、私はセオをピアノの部屋に連れて行った。父のアイデアで、そういう計画を立てていた。私とセオがピアノを弾いている間に、夕食をみんなで食べることが可能かどうか相談するという話だ。
私は兄のレンにセオのカプースチンやスクリャービン、ラフマニノフを聴かせたかったので、それを弾いてとせがんだ。セオは家のアプライトピアノが揺れるほどの迫力で演奏した。背筋がゾクゾクするほど感動した。セオの匂いの中でセオの音を滝のように激しく浴びる感覚に私は酔いしれた。それは異様な快感だった。セオの匂いを他の人が嫌えば嫌うほど、その匂いの中にいる快感は高まるような気さえした。私の家はセオの家より狭く空調設備も整っていないため、セオの匂いは充満しやすかった。
1時間も経っただろうか。父がピアノを聴きに部屋に入って来た。セオの演奏が終わった時、父は英語でセオに何か話した。それから私に言った。
「メイ、今夜は父さんとセオのお父さんと、メイとセオの4人で、〇〇ホテルに行くよ。温泉ホテルでの演奏会は今度の土曜日だろう?本番前の予行練習をするんだ。夕方5時にホテルのロビーでセオのお父さんと待ち合わせだ。もう少ししたら出かけるよ。メイはワンピースに着替えておいで。」
私はすべて理解した。セオは『はじかれた』のだ。
母は私にヒラヒラしたピンクのワンピースを着せ、髪をアレンジしてオレンジ色の大きなガーベラの花で飾ってくれた。出かける時、セオは私を見てキュートとかスィートとかラブリーとかいっぱいほめてくれた。その言葉に私は、喜びより切なさを感じた。その状況のやるせなさに胸が痛んだ。セオはきっと何もかも理解したうえで、精一杯、明るく頑張ろうとしているのだと思った。セオは絶対、病気なんかじゃない。病気なのはセオを受け入れようとしない大人たちだ、とすら思った。
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