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「……滅びても構わないと?」 「いえ、そうではなく……。もちろん水が戻って欲しい。元の暮らしに戻って欲しい。豊かに土地が肥え、人々が働き、お腹いっぱい食べ、不安なく眠る。そういう村に戻って欲しいのは事実です。ただ」  女は刹那、言い淀み、それでも思い切って再び口を開く。 「私の村では、人々が食糧を巡って争っています。水を巡って争っています。多く有する者は、少ししか持たぬ者に融通することなく、飢えて縋る者を蹴散らし、渇きを訴える者を払いのけ、見捨てています。あまつさえ、人の物を奪おうと傷つけ合うことすらあるのです。なぜ平気でいられるのでしょう。なぜ助け合えないのでしょう。私は、その人々の心が、何より恐ろしいのです」  二人の間を、柔風(やわかぜ)がすり抜けていく。  顔を寄せてくる牛に気づき、女はその鼻先をそっと撫でた。 「あのような心では、水が戻ったとてまた新たな諍いが生まれるでしょう。いがみ合い、疑い、侮蔑し、心の平穏は来ないでしょう。しかし皆に、寄り添い、分け合い、いたわり合う心があれば、やがて最期を迎えようとも、清き生を全うすることで、人は安らぐのではないでしょうか。私達に何より必要なのは、他者を思い遣り(いつく)しむ心なのではないでしょうか――」  男はそれを聞き終えた後、改めて女に問うた。 「それではあなたは、水を願って村を存続させるより、心を願って滅びを待つほうが望ましいと仰るのですね」  女は牛を撫でながら、視線をゆっくりと落としていく。 「……わかりません。そう考えることが……正しさなのかわからないので、迷っています」  
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