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2日目の朝。
お爺さんはいつも通り、窓から差し込む朝日に照らされ、目を覚ましました。お爺さんは早起きです。
お爺さんの寝ている部屋の窓からは、色とりどりのアジサイが咲く、美しい庭が見えます。体が衰え、ろくに手入れもできませんが、それでも美しく咲いてくれる庭の花々が、お爺さんの小さな楽しみの1つです。特に今日は雨上がりのためか、アジサイの花が濡れて、とても綺麗でした。
お爺さんが窓を開けると、朝の爽やかな空気が部屋いっぱいに吹き込んできます。
もう何年もの間、まったく変わることのない、いつも通りの朝です。
お爺さんは、しばらくぼんやりと外のアジサイを眺めた後、視線を部屋の中に戻します。
すると、そこには――
「おはよう」
「…………おぉ」
ベッドの横の椅子に背筋を伸ばして座る、背中に黒い翼を生やした女の子がいました。
お爺さんは驚いて目を丸くした後、動揺して小さく呻きます。
そして、昨日最後に見た姿とまったく同じ姿勢でこちらを覗くシオンを見て、どうやら昨日のあれは夢ではないらしいことを理解しました。
「やあ、シオンちゃん。おはよう」
と、お爺さんはやっと微笑みながらシオンへ朝の挨拶をします。
「すまないね。いつもはワシ1人で、近くに誰もいないから、少々驚いてしまった」
お爺さんにとっては死期の近い自分の前に死神が現れるより、自分が起きた時に自分以外の誰かがこの屋敷にいることの方が余程あり得ないことでした。
そんなお爺さんの内情を知ってか知らずか、
「別に気にしていない」
と、シオンは素っ気なく答えます。
そんな様子を見て、お爺さんは昨日のことを思い出しながら尋ねました。
「本当に寝ないんだね。ワシが寝ている間、ずっとそこにいたのかい?」
昨日の夜、お爺さんがシオンに休むための客室を与えようとしたところ、シオンは、死神は寝ないから、と言ってそれを断ったのです。
「ずっといた」
実際、シオンが動いたような形跡はなく、部屋は勿論、シオンの座っている位置や姿勢まで、昨日のままでした。
「ずっと同じ姿勢で疲れないのかい?」
「疲れない」
「お腹は?」
「空かない」
「退屈は?」
「する」
「ふふっ」
シオンはそれぞれの問いに即答し、最後の素直なシオンの答えにお爺さんは笑いました。
「そうか。なら、今夜は退屈しないよう、遊び道具を用意してやろう」
「助かる」
「さて、何がいいだろう?」
と、お爺さんは楽しそうに1人呟きました。
「ところで、これからワシは朝食を取るのだが、シオンちゃんはどうする? 死神はご飯を食べるのかい?」
「食べる必要はない」
「なら――」
「だか、食べられないこともない。もし仮に、あなたがうっかり朝食を2人分用意してしまい、1人では食べきれないという事態が発生したとするなら、その時は、私が余った食材の処理を手伝ってもいい」
「……その、つまり?」
「食べたい」
「ふふっ、そうかい。分かった、すぐに用意するよ。そういえば、昨日もクッキーを食べていたね」
「美味しかった」
「ふっふっふ、それはよかった」
と、お爺さんは朝食を用意するために、ベッドからゆっくり腰を上げ、1人キッチンへ向かいます。
「…………」
シオンは、その様子を黙って見つめていました。
「お待たせ」
30分後、お爺さんは2人分の朝食の乗ったお盆を持ち、寝室に帰ってきました。そして、ベッドの脇にある机の上に、お皿を1つ1つゆっくりとした動作で並べます。
朝食は、こんがり焼かれたトーストとグリーンサラダに牛乳と、とてもシンプルなものです。
「さあ、食べよう」
そう言って、お爺さんも席に着き、2人は食べ始めました。
「…………」
そして、3分後にはシオンの前に置かれたお皿はすべて空になりました。シオンはまだ食事をしているお爺さんを、黙って見つめます。
「……この家には、あなた以外の人はいないの?」
突然、シオンがお爺さんにそう尋ねたのは、それからさらに10分ほど経った時のことでした。特にすることもなく、暇だったのでしょう。
お爺さんが手に持っているトースターは、まだ半分も減っていません。
「ん――」
お爺さんは口の中の物をしっかり噛み、飲み込んでから答えます。
「ああ、そうだよ」
「1人も? 家族は?」
「いないよ。家族も」
お爺さんは、そう言ってまた微笑みます。
「親とは、とっくに死別した。結婚はしていないから妻や子供もいない。兄弟もいないし、連絡を取り合っている親戚もいない」
「1人で大変じゃないの?」
「慣れれば平気だよ。機械がサポートしてくれるから、頭が鮮明で歩けるうちは生活に困ることはない。1人でだって生きてはいける。便利な世の中になったものだね」
「…………」
と言って、お爺さんは食事を再開しました。シオンも話題がなくなり、また黙ってお爺さんを見つめます。
それからしばらく、静かな時間が流れました。窓の外から鳥のさえずりと、噴水から流れる水の音だけが聞こえます。
いつの間にか寝室に入って来ていたロボット掃除機が部屋を1周し、その過程でお爺さんとシオンをそれぞれ1回ずつゴミと勘違いして足にぶつかった後、また部屋から出ていきました。
「……ふう」
そして、やっとお爺さんが朝食をすべて食べ終わりました。
「待たせたね。今、片付けるよ」
と、お爺さんが立ち上がります。
「手伝う?」
「いや、大丈夫だよ。1人で出来るから」
立ち上がりかけたシオンを、お爺さんは微笑みながら制しました。
お爺さんは1人、空のお皿を持って、キッチンへと向かい、
「…………」
シオンがその後ろ姿を黙って見つめていました。
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