死神シオンと空っぽなお爺さん

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 6日目の正午。  その日もいつもと変わらず、2人はチェスを楽しんでいました。  しかし、そんな変わらない日々にある変化が訪れます。 「御免ください」  玄関をノックする音とともに、そういう男の人の声がお屋敷に響いたのです。 「…………」 「…………」 「「…………っ!」」  チェスの途中だった2人はそれを聞き、そろって目を丸くしました。  お爺さんのお屋敷に初めて人間のお客さんが訪れる。しかも、お爺さんの余命も残すところ後1日となったこのタイミングで。死神の訪問をも超える驚天動地の出来事でした。  シオンは慌ててチェス盤を片づけ、お爺さんは客人を迎えに、ゆっくりと、しかし動揺した足取りで玄関を目指して歩き出します。  お爺さんが何年かぶりに靴を履き、外に出ると、 「あっ、先生。お久しぶりです」  そこには1人の男性が立っていました。男性はお爺さんが玄関を開けるなり、大声でそう挨拶をします。どうやら来客はお爺さんの知り合いだったようです。  男性は20から30代くらいで、まだ新しそうな紺色のスーツを着ています。 「……おお、白菊君か」  どうせ訪ねてきたのはセールスマンか宗教団体だろうと、勝手に決めつけて考えていたお爺さんは、客人が知人だと分かり、さらに目を丸くします。 「俺のこと、覚えててくれたんですね。嬉しいです」 「勿論だとも、忘れるはずがない」  白菊は、お爺さんがまだ教師をしていた頃に知り合った生徒です。お爺さんは白菊のクラスの担任で、また自身が顧問をするチェス部の部長でもありました。 「さあ、立ち話も何だ、上がってくれ」 「はい、お邪魔します」  そう言って、白菊は屋敷に上がり、お爺さんの先導して廊下を歩きます。 「すまないね、客室はあるんだが……ワシももう歳だ。普段使いの部屋で構わないかい?」 「勿論です! こちらこそ、気を使わせてしまいすいません……」  お爺さんと白菊はお互いに申し訳なさそうにそう言い合います。  そして、お爺さんの案内で、2人はいつもの寝室の前にたどり着きました。 「さあ、汚い部屋だがどうぞ――」  と、お爺さんが扉を開けると、そこには―― 「…………」  シオンがいました。子どもにしか見えない小さな女の子です。背中には翼を生えています。一目で人間でないとわかります。どの角度からもアウトです。 「――っ!」  お爺さんは自らの失敗に気づき、絶句しました。動悸で倒れそうです。何なら、1日早く昇りそうです。  この6日間、シオンといるのが当たり前になっていたお爺さんは、彼女が死神であることをすっかり忘れていました。  慌てて扉を閉めようとするお爺さん。  しかし、シオンはそれを、 「待って」  と遮って、落ち着いたいつもの口調で言います。 「あなた以外の人間に私の姿は見えない」 「……そうなのかい?」  お爺さんは、閉めかけのドアから顔だけ出してシオンと話します。 「今までずっとあなたと2人っきりだったから、説明が遅れた。ごめんなさい」 「いや、謝る必要はないよ。こちらこそ配慮が足りなかった、悪かったね」 「気にしていない」 「なら、お客さんを部屋に入れても大丈夫かな?」 「問題ない」 「その間、シオンちゃんはどうしている?」 「こうしてる」  と言って、シオンは椅子から立ち上がり、今度はいつもお爺さんの寝ているベッドの上に腰を下ろしました。  それを見て、安心したお爺さんは再び扉を開けて、白菊を部屋の中に誘います。 「……すまない、待たせたね」 「いえ、気にしていません。それより、部屋に首だけ入れて、何をしていたんですか? 顔色も悪いですが……」 「い、いや、部屋の中に虫がいてね! どこかへ行ってしまうのを待っていたんだよ……」 「は、はあ……」  お爺さんの返答を不審がりつつも、白菊はそれ以上そのことについて尋ねたりはしませんでした。特に問題ないと判断したのでしょう。  それからお爺さんは白菊に、さっきまでシオンが座っていた椅子を勧め、自分はお茶とお菓子の用意をしました。 「ところで、今日はワシに何か様かな?」  と、お爺さんは自分も腰を下ろし、お茶をゆっくり1杯飲んだ後で、白菊に尋ねます。 「はい。今日は先生にお礼がしたくて上がらせて頂きました」 「お礼!?」  それを聞き、お爺さんは驚きすぎて叫んでしまいました。先ほどからお爺さんは驚きすぎて、動悸が人生新記録をマークしっぱなしです。1周回って生きた心地がしません。最早ここが天国です。  自分のことを最低な教師だと思っていたお爺さんは、恨まれることはあっても、感謝されることは絶対にないだろうと思っていたのです。もし恨まれるなら、きっと最も迷惑をかけた白菊だろうとさえ考えており、遂にその彼が復讐をしに来たのだと、勝手に決めつけていました。 「先生には、中学時代にお世話になりっぱなしでしたから」 「お世話!?」 「今の俺があるのは、全て先生のお陰です」 「ワシのおかげ!?」 「本当にありがとうございました!」  驚きっぱなしのお爺さんに、白菊はそう深々と頭を下げます。  あまりの出来事の連続で、現実逃避をし始めたお爺さんの脳は、そんな白菊をまるで人間によく似たまったく別の物体のように捉え始めていました。端的に理解が追いつきません。  ベッドに黙って座る、人間によく似たまったく別の物体(?)も、その様子を黙って見守っています。 「し、白菊、礼を言う相手を間違えてないか? 本当にワシでいいのか?」  お爺さんは、目の前で起きたことがまだ信じられず、白菊へそう尋ねます。  しかし、白菊はまっすぐにお爺さんを見据え、きっぱりと首を振りました。 「間違えるはずがありません。先生は俺の憧れでした。先生はとても生徒思いで優しくて、数学の授業も分かりやすく、いつか先生みたいな教師になれたらいいな、とずっと目標にしてました」 「……そういえば白菊、教師志望だったな」 「はい。先生は、ずっと空っぽでただ漠然と毎日を過ごしていた俺に夢を与えてくれました」 「ワシが他人に夢を……?」  自身のことを空っぽだと自称していたお爺さんは、まったく逆のことを言われてますます狼狽えます。 「お陰で無事、教員免許も取ることができ、先日正規の教師としてもようやく採用されました。本当にありがとうございます。今日は、それを伝えたかったんです」 「……そうか。教師になれたのか」 「はい。これからも先生に少しでも近づけるよう、頑張ります」  目を輝かせる白菊。  かつての自分を空っぽだと自称した青年は、輝く顔でお爺さんを見つめます。  その様子に何を感じたのか、お爺さんは―― 「……なあ、白菊」 「なんですか?」 「お前さんから見て、ワシはどんな先生だった」  と、尋ねました。  白菊はきっぱりと、 「最高の先生でした」  と、即答します。 「……そうか、最高か」  白菊の答えを聞いて、お爺さんはお爺さんは1人呟きます。  そして、 「ワシは、1人ではなかったのだな……」  そう呟いたっきり、お爺さんは遠くを見つめて黙ってしまいました。  そんなお爺さんを、白菊もシオンも黙って見守ります。  しばらくして、何かを決心したかのようにお爺さんは顔を白菊に向けました。 「……なあ、1つ頼まれてくれないか?」 「はい、何ですか? 何でも言ってください」 「ワシも、もう長くない」 「そんな! 弱気にならないで――」 「まあ、聞け」 「…………」 「ワシも長くない。だから、ワシが死んだら、お前さん、この屋敷を貰ってくれないか?」 「この屋敷ですか?」 「ああ。こいつはワシのお気に入りでな。教師時代の貯金を全て注ぎ込んで買ったものだ。ワシの人生の集大成といってもいい」 「そんなものを俺なんかが貰ってもいいんですか?」 「ああ、お前さんに貰って欲しい」 「……分かりました」 「ありがとう、白菊」  と、お爺さんは笑いました。その顔はとても嬉しそうで、まったく悲しそうには見えない、純粋な、とびっきりの笑顔でした。  そんなお爺さんを見て、白菊は少し悲しそうに口をすぼめた後、ニッコリと笑って口を開きます。 「けれど、それは先生が死んだときの話しです。大丈夫、先生ならあと10年だって、20年だって生きられますよ」 「……そうだな」 「今は厳しいでしょうが、お身体が元気になったら、どこかへ一緒に出掛けましょう。どこがいいですか?」 「お前さんのいた学校をもう1度見てみたいな。他のチェス部のみんなのことも気になる」 「いいですね。同窓会も開きましょう」 「ああ」 「そうだ、久しぶりに1局どうです?」 「いいな、やろう」 「チェス盤はどこですか?」 「棚の上だ」  そして、白菊が用意し、2人はチェスをしました。  2人はとても楽しそうで、シオンもそれを横から黙って見つめています。 「もっと早く、お前さんに会えていたらな……」  お爺さんは呟き、白菊との対局を噛みしめるように、ゆっくりと駒を動かします。  チェスをしている間も、白菊はお爺さんとのお出かけの計画を話し続けました。お爺さんはそれを、時に笑いながら楽しそうに聞きます。  2人は、そのまま続けて5局ほど指しました。ちなみに成績は、2勝2敗1引き分け。 「――では、俺はこれで失礼します」  と、白菊はチェス盤を片づけ、立ち上がりました。 「見送ろう」 「いえ、お気遣いなく」 「……そうか」 「では、後日近いうちにまた来ます」  と、白菊はドアノブに手を掛けます。 「お邪魔しました」 「……じゃあな」  お爺さんはそう短く、しかし名残惜しそうに言いました。 「はい、また会いましょう」  と、白菊は明るく言って、ドアを開け、部屋から出て行きます。  屋敷は、またお爺さんとシオンの2人だけになりました。 「……なあ、シオンちゃん」  お爺さんは、ずっとベッドに座り黙っていたシオンに、そう話しかけます。 「ワシの寿命は、あとどれくらいだい」 「ちょうど18時間」  と、シオンは即答します。 「……一応確認するが、その時間が間違いだったり、ずれたりすることは?」 「ない」  またも即答します。 「その時間は絶対。1秒だって、変わることはない」 「じゃあ、ワシ自身が死を防ごうと動いた場合どうなる? ワシは自分がいつ死ぬのかを知っている」 「そういうことが起きない様に監視するのが――私の役目」 「……そうか」  お爺さんは諦めたのか、椅子の背にもたれかかり、遠くを眺めます。 「今更になって、やっとお前さんが死神なんだと自覚したよ」 「……恨むなら、恨めばいい」 「……そうだな」 「…………」 「……まだ間に合うかな? こんなワシでも、やり直せるかな?」 「…………」  お爺さんのこの問いに、シオンはただ静かに頷きました。
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