田村 十丸

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田村 十丸

 年末の予定はすべて吹き飛んだ。  田村十丸(とまる)はコーヒーを一口飲んで、顔をしかめた。マロンクリームのような明るい色の瞳が微かに陰り、双眸の下に細い皺が寄る。冷めて角が立った苦味は、舌の表面に張り付いたままなかなか消え去らなかった。  富裕層向けの旅行コーディネーター、というのが十丸(とまる)の主な仕事だ。  もちろんそれだけでは収入が不安定なので、これまでの伝手と経験をいかして輸入代行や海外での買い付けも行っている。質の良い、他の店では見つけることが難しい商品を扱っているため、リピーターも多い。でもこれはあくまで副業だ。  旅行コーディネーターの仕事はホームページもない。だから検索にも上ってくることもない。  知り合いの紹介で何もわからない状態から始めたこの仕事は、とんとん拍子でうまく転がっている。押し付けがましくなく、聞き上手。相手に合わせて気づかいをし(よそよそしい態度を嫌う客もいるのだ)、多大な経済力や目の前にしても卑屈にならない。高級ホテルでも気後れすることのない雰囲気を持つ十丸の評判は良かった。アテンドに満足した客はリピーターになり、また別の客を紹介してくれる。初めは日本国内、そのうちに近隣国への同行も頼まれるようになった。現地在住の誰かに頼めばいいのに、と思って信頼できる人を紹介することもあった。でも、どうしても十丸がいい、という客もいた。一人旅に同行してほしい、と。  最初は金の余っている人間の気まぐれと思っていたら、ベッドを共にしたいと言い出され、相手のプライドを傷つけないように断るのに苦労した。しかし、それは稀なケースだ。ほとんどは、他愛のない話をして、ストレスなく滞在するだけだ。生活のほとんどがビジネスである彼らは、何のしがらみもない相手とのんびりしたいのだろう。その気持ちもわからないではなかった。  今回は、他人に任せたはずだったのに、突然の病気でアテンドできないと連絡を受け、急遽十丸がついてゆくことになった。クリスマスをまたいでの三か国周遊旅行。何も自分である必要はないのに、と思いつつも準備を急いでいた。  今日は既に十二月十八日。二十日に出国しなければならない。年末年始の混雑が始まる前だから、いつも通り関空に、と考えたところである男の顔が脳裏をよぎった。 「長谷 明楽(はせ あきら)」  名刺にあった名前を口にしてみた。カウンター越しに自分を見た眼差しは、思い出すだけで身の内に射し込んでくるようだ。一夜を共にした時の屈託のない明るさと、入国管理官という肩書でこちらを見たときの鋭い視線の差に驚いた。  普段は行きずりの相手と寝ることはしない十丸にとって、バーで会って数時間もたたない内に服を脱いでいたのは驚きだった。それだけの魅力と、説得力があったのだ。  ベッドの上で向かい合わせに座ってキスをした。舌を絡めながらお互いを愛撫し合った後、彼の指が十丸の双丘の間をするりと撫でた。爪は短く整えられていた。指先がこれから押し入ってゆく箇所を探るように、後ろから腿の間をまさぐっている。 「......んっ、ぁ」  焦らしているのかとと思うほど丁寧に下着を脱がされたせいで、すでに十丸(とまる)の身体は期待で熱くなっていた。片手でわき腹を撫で、もう片方の手が揶揄うように脚の付け根を彷徨ってゆく。そのもどかしい感覚に誘われて無意識に腰を揺らしていた。潤んだ瞳の十丸を見て、明楽が心から嬉しそうに微笑んだ。それでようやく、これは焦らしているのではなく念入りな愛撫だと気が付いた。  先を促す十丸からのキスをきっかけに、微笑んでいた肉厚な唇は耳朶へと移動した。吐息が熱い。相手の興奮を知り十丸はさらに激しく欲情した。相手の髪に絡めていた指が、身体沿いに下りてゆく。  勃ち上がった二人の中心を両手に包もうとしたが、生き物のようにねとりと首筋を這う唇に、十丸の手は思うように動かせなくなっていた。それに気づいた明楽は、腰をぐっと押しつけ、上半身を抱き寄せて蜜を滴らせる屹立を腹の間でこすり合わせた。 「は、ん……ローションある?」 「ある、俺が上でいいんだよな?」  などと今更な問いが返ってきた。 「いいけど、もしかしてそれで躊躇ってたのか? だったら部屋に入る前に言えばよかった」 「うん、でも脱がせてから分かるのもスリルがあっていい。な、ちょっと体勢変えて」  冗談か本気か分からない。じゃあこっちもタチだったらどうする気だったんだ、と聞こうとした十丸の唇を塞ぎ、彼は雄を待つ身体を仰向け横たわらせた。ハーフパンツとシャツに隠されていた十丸の肢体は、今やホテルの控えめな灯りにさらされている。 「きれいだ。抱かれ慣れてそうなくせに、隅から隅まで上品な身体だな」  繋がってからの彼のセックスは、さっきまでの丁寧さが嘘のように力強く情熱的だった。乱暴な激しさではなく、押し殺したような執拗な律動に、言葉もなく啼かされた。うわごとのように開放してと訴え、脱力したまま明楽の動きに身体を預けていると、耳元で低い声が聞こえた。 「あんたのその目、ぞくぞくする。顔を背けないで、俺に見せて」  そんな夜を過ごした翌朝、彼は日本に旅立って行った。お互いに名前を聞かないまま。  他人に執着することなんてほとんどなかったのに、何度あの夜を思い出しただろう。会いたくないと言ったら嘘になる、しかし、あえて連絡を取って会うのも無粋だ。  滞在中に会うことができればきっと楽しいに違いない。そんなささやかな期待をもって年末の予定を立てていただけだったのに。
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