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友人を店の奥に連れ出した。本来なら店の裏側にあたる場所がホテルの入り口になっている。一見客入りの悪そうな条件だが、人目を忍ぶような人間には需要がある。鈴木はそんな不自然な店の構造に驚く暇もなく、自分の世界に入り込んでいた。夢見心地なぼんやりとした表情で手を引かれるままに拙い足取りで進む。
「さっき店員がお前のこと見てたよ。バレたんじゃないか」
彼は羞恥心を煽られるのが好きだ。恥ずかしい人間だ、などと言ってやれば目を潤ませて喜ぶ。
「…あっ、」
痴漢の真似事をするように尻臀をスラックス越しになぞる。びくりと体を震わせ、期待するような媚びた悲鳴をあげた。確かに下着のラインが不自然なのがわかる。本当に女性物を穿いているのだろう。
彼と違って人の視線に興奮するような性癖は持ち合わせていない為、速やかに部屋に押し込んだ。
「俺は甚だ疑問なんだが」
肩を強く掴み、乱暴に足元へ跪かせる。
それなりに長い付き合いの所為か、何をすれば悦ぶか理解できてしまう。さして趣味でもない加虐性を演じさせられることにも、もう慣れてしまった。
「やけに女装趣味を否定するのは何故だ?」
問いかけながら、上着を脱ぎ皺にならないようハンガーにかけた。その様子を鈴木は目で追いながら時折、膝同士を擦り合わせて落ち着かない。
「僕が欲しいのは、過程じゃなくて…」
「ああ、わかるよ。お前の言いたいことはさ」
求めているのは女装の先にあるものだ。自分の痴態を暴かれ凌辱されたがっている。そういうことにのみ悦びを感じるのが鈴木という男だった。
これはある種の病なのだと思う。品行方正な生き方を強いられ生じた歪みだ。
「そのわりにお前が辿り着くのは決まってこれじゃないか?」
彼のベルトを掴んで引く。スラックスを降ろされると思ったのか、鈴木は咄嗟に前のめりに蹲った。
「本当はあの頃が忘れられないんだろ」
正直に言ってみろよ。脅すように低い声で囁く。
今は年齢を理由にやらないようだが、高校時代は女子高生の格好をして外に出てはそのスリルを楽しんでいた。あれに勝る刺激は大学を出て就職した今、そうそう感じられないのだろう。
「…見て、ほしい」
「何を」
「ぼくが、女の子になってるところ」
掠れた声と欲に染まり潤んだ両目。
「女の子、ねえ…」
それはさすがに無理があるんじゃないのか。そう言いそうになるのを堪え、わざとらしく時間をかけてベルトを外す。早くなる呼吸に鈴木の胸は忙しなく上下する。ファスナーを下げると、白いショーツの女性的なレースには不釣り合いな膨らみ。
「こんなエグいもん、誰が見たがるかよ」
「あっ、」
人を脅すことが職業病になっている身としては、プライベートまでこういうことを求められるのは正直うんざりしている。それでもここまでしてやるのは、彼以外に友人と呼べる存在がいない所為だと思う。それはおそらく鈴木も同じだ。
「なあ、お前、明日からもまた澄ました顔でいられるのか?」
「…うぅ、触るの、やめ、」
「そのだらしねえ顔、ちゃんと元に戻せるか」
「あ、いく、いっ、ちゃう…あ、あぁ…っ」
身震いをすると白いレースにじわりと染みが広がった。
腰でつかえていたスラックスを引きずり下ろして放り投げる。同じようにショーツに掛けた手が突然、拒むように掴まれた。このまま、と掠れた声。
「変態」
は、と短く吐いた彼の息は笑っているようだった。
いよいよだめかもしれないな。今まで何度か思ったことが再び頭を過った。
床からベッドまでの間に脱ぎ散らかした服を拾い集める。振り返ると鈴木は酷く汚れよれよれに伸びてしまったショーツを摘まみ上げ、それを躊躇することなくごみ箱に捨てた。帰りはどうするつもりなのかと見ていると床に手を伸ばした。自分の鞄を引き寄せると、中からパッケージされたままの新品の下着を取り出す。そのまま淡々と地味なグレーのボクサーパンツを身に付けた。
「準備がいいんだな」
感心して言うと、鈴木は意味がわからないというように首を傾げた。
欲望のままに行動しているかと思えば、突然冷静な一面を覗かせる。本人に自覚はないようだが、無意識下でブレーキがかかるようにできているらしい。
「ヤクザって、」
鈴木の指が背中に触れた。鴉彫りの一匹龍を撫でる。
「普段なにしてるの」
「さあ」
そればっかり、と口を尖らせる。今時、邪魔になるだけの刺青は一般社会との決別を示す為に彫った。どういうわけか、切りたくても断ち切れない腐れ縁だけを残して。
「…いいな、毎日退屈しなそうで」
ぼそりと呟く。この男が不思議でならない。正しい家庭に生まれ育ち、正しい教育を施されて、何の過ちを犯すことも無く正しい世界に生きている。それの一体何が不満なのか。退屈に殺されるとでもいうのだろうか。
「次、いつ会ってくれるの」
「お前がまともに退屈してたらそのうち」
「どういうこと」
「良い子にしてたらすぐって意味」
良い子って言葉、大嫌い。鈴木が擽ったそうに笑う。
「待ってるよ」
良い子で、と皮肉気味に付け足して、退屈の病人は静かに眠りについた。
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