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 薄暗い部屋の中で目を覚ます。随分眠ってしまったような気がする。  開ききらない瞼で時刻を確認する為のスマホを探す。しかし、僕の指先はなかなかスマホにたどり着かない。諦めて、先に明かりをつけることにした。スタンドライトのスイッチに手を掛ける。  ぱっと辺りが照らされると同時に、見知らぬ子供の顔がそこにあった。不測の事態に僕は飛び上がって驚く。その勢いで、見つからなかったスマホが音を立てて床に落ちた。少年はそれを拾い上げると興味深そうに眺めた。 「おはよう、めぐる」  少年は僕の名前を呼んだ。親戚の集まりで会った従兄弟の子供と同い年くらいだろうか。確か小学校に入学したばかりだったと思う。少年がその子でないことは明らかだった。しかし、このくらいの子供の知り合いは他に思い当たらない。  子供の顔とは思えない程の無表情と、何故か濡れている髪。よく見れば身に着けている白いシャツも湿って肌に張り付いている。丈は違えど、その異様な姿には心当たりがあった。過去に二度、僕はこれと同じ異様な光景を目にしている。 「千田、なの…?」 「うん。おはよう」  声は甲高く、舌が短いのか発音は辿々しい。処理しきれない状況の中で、つられるように目覚めの挨拶を返す。おはよう、千田。僕はずっと眠っていたのだろうか。どこまでが夢で、現実なのか。もしくは、今が夢の入り口かもしれなかった。千田が拾い上げたスマホをこちらに差し出す。僕は現実味のない中でそれを受け取った。その際に小さな手に触れる。最後の記憶では、彼の手も体も、目の前で粉々になってしまっていたはずだった。 「あの時、全部消えちゃったのに…」  高校二年生のある時、僕は千田を失った。彼の体が消えてなくなる瞬間をこの目で間違いなく見たのだ。 「わたしはずっと巡のそばにいた」  抑揚のない話し方は声質こそ違えど彼らしいもので、懐かしさを覚える。驚き、跳ね上がった僕の心臓も落ち着きを取り戻し始めていた。部屋の明かりをつけ、改めてその姿を見る。びしょ濡れの彼の体は髪や顎を伝って水が滴るほどだった。よく辺りを見渡せば、フローリングにいくつも水溜まりを作っている。慌ててバスタオルを取りに走った。  濡れた頭を包むようにタオルを被せ、ごしごしと拭いてやる。幼い千田は不思議そうな顔をしながら、されるがまま受け入れていた。 「どうしよう、早く着替えないと。こんなんじゃ風邪ひいちゃうよ」  ただでさえ幼い体を心配する。 「巡は私の体がこれだと思っているようだが、それは間違いだ。人間が衣服を身につけるように、私も体を守り覆っているのだ」  千田は丁寧に説明しているつもりなのだろう。しかし、その姿ではどうしたって子供が話しているようにしか見えない。僕には彼の話よりも、早くその体を乾かしてやることのほうが重要だった。 「本来は巡の目に見えない程、私は小さい。こうしてエネルギーを纏い擬態しなければ、身を、守ることが…」  千田の声は途切れ途切れになり、最後には咳払いをする。 「喉が渇いたの?」  頷く子供にスポーツドリンクを手渡した。偶然とはいえ、こういう物を買っておいてよかった。そういえば僕の体調はすっかり良くなっている。薬が効いたのだろうか。正直、今はそんなことを気にする余裕もない。  千田はボトルを傾けると、それをひと息で飲み干してしまった。 「巡、これと同じものがもっと必要だ」  二本目のペットボトルを手渡すと、先程と変わらない速さで飲み干す。その様子を呆気にとられながら見ていた。僕はそこでようやく、千田が宇宙人であることを認識する。そっか、千田って人間じゃないんだった。当たり前のことがわからない。そのくらい、千田は僕にとって身近な存在だった。  ぐっしょりと水気を吸っていたはずの彼の衣服はいつのまにか乾いていた。もっと、と空のペットボトルを手に千田が催促する。 「そんなに飲んだらお腹痛くするよ」  余程喉が渇いていたらしい。何か食事を摂らせるべきだろうか。突然の出来事に考えることが多くて目が回りそうだった。子供の千田が現れて、なんだかよくわからない話を僕にしていて。  さっきまで彼の頭を拭いていたはずのタオルには水分が少しも残っていない。フローリングの水溜まりも、今はもう見当たらない。もしかすると僕は、さっきから全く無駄な心配をしているのかもしれなかった。 「私は、巡の体内で回復を待つことにした」  小さな手が僕の胸の辺りを指差す。目に見えない程小さいという千田が、僕の体内で。聞き流していただけの説明を改めて頭の中で整理する。ずっと僕の傍にいた、なんて、そんなこと一体どうやって。 そこでひとつの記憶が蘇る。千田が消えてしまう前に僕にしたこと。 「あれ、キスじゃなかったんだ…」  勝手に勘違いしていたみたいで恥ずかしい。行為としては口づけに違いないのだが、千田にそういう意図は微塵もなかっただろう。 「ちゃんと“お邪魔します”と挨拶をするべきだった」 「そうじゃなくて」  挨拶をするように、と教えたのは僕だったかもしれない。千田はそういうことをよく覚えて律儀に守っていた。 「じゃあ、千田はどうやって僕の体から…」  それは、と続ける千田を止める。 「ちょっと待って」  子供といえど、こんな大きさのものが体内から出てくるなんてことがあるのだろうか。慌てて自分の体を確かめる。お腹に穴が空いているだとか、そういった異常は見当たらない。だとすれば、と考えやめる。どっちにしたって大問題だ。 「怖いから、言わなくていいよ…」 「巡の体に負担を掛けてしまったな」  先の体調不良は千田が関係していたらしい。僕の体の変化なんてほんの少し風邪をひいた程度のもので、体が溶けてなくなってしまうことに比べたらずっとましだった。 「…このくらい何でもないよ。千田が元気になってよかった」  小さいけど、と付け足す。だからってどうしてこうなるのだろう。僕の体の中というのがどうしても引っ掛かっていた。じゃあ子供の姿で出てきたってことになるじゃないか。詳しい話を千田から聞くのも怖い。ひとり考え、悶々とする。 「あの場所に行かなくては。ずっと交信を断ってしまっていた」  すっくと立ち上がって、何故か窓の方に向かって行く千田を慌てて引き留める。 「待って待って!」  千田は自分が子供の姿をしているという自覚がないらしい。その上、今自分がどこにいるのかも理解していないのだ。 「あのね、僕もう大学生になったんだよ。実家出て一人暮らししてるし」  千田は黙ったまま僕の目をじっと見つめて固まっている。ああ、これだ。僕の言うことに、彼の理解が追い付いていないときの顔だった。  千田が知らないうちに僕は高校を卒業して大学生になっていた。今は地元を離れて一人暮らしをしている。そのことを千田にもわかるようにどうにか説明する。  今の千田はどう見ても子供だということ。それから、人間の子供が一人で出歩いては危険なこと。高台の公園がある地元に帰るには、電車で二時間は掛かる。今から行くことはどう考えても不可能だと強く言って聞かせた。  動きが完全に止まった千田は途方に暮れているようだった。それがなんだか可哀そうで居た堪れなくなる。 「あとで連れて行ってあげるから…」  ようやく瞬きを思い出した千田は納得したのか再び僕の目の前に座った。
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