1マグノリア

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1マグノリア

 朝のニュースは、東北の空で火球が観測されたことを伝えている。緑色に輝く火の玉が上空を流れる映像は、流れ星が大気圏まで近づいて燃え尽きた際のものだという。学校に行く支度を急かされながらも、テレビの画面に釘付けになった。映画みたいな景色が現実に、それもさほど遠くない場所で起こっている。僕は子供ながらに衝撃を受けていた。それから、自分でもあれを見てみたいと強く思った。そうだ、学校が終わったら高台の公園に行こう。あそこなら広い空を見渡せるから、待っていれば火球が降ってくる瞬間をこの目で見れるかもしれない。想像しただけで胸が高鳴る。根拠のない自信と、単純な動機は幼さ故のものだった。  家に帰って、ただいまを言う必要はない。ランドセルを玄関に置き、鍵を首から下げる。自分の鍵を持っていることは誇らしかった。周りにはまだ鍵を持ち歩いている同級生はいなかったように思う。必要最低限の身なりで再び外に出る。お気に入りのキーホルダーが付いた鍵は宝物であり、同時に寂しさの象徴でもあった。共働きの両親の帰りを待つ、ほんの少しの時間はやけに長い。でも、今日はこれから火球を見に行くと決めたのだ。見れる保証なんてどこにもないのに、何かが起こると信じて疑わなかった。  高台に続く階段を駆け上がる。そこから見る、街を見下ろす景色が好きだった。  上りきって息を整える。ふと、地面を見ると地面が湿っていた。見渡せば、ところどころに飲み物を溢したような跡がある。誰かの悪戯か、ごみを捨てて行ったのかもしれない。些細なことが気になって、本来の目的を一度忘れる。跡を辿っていくと、植え込みの方に続いていた。草木の陰に何かが動くのを見る。 「わっ!」  覗き込んで、思わず声が出た。草木の中、人が身を屈めている。大人の男だった。雨も降っていないのに水をかぶったみたいに全身が濡れていて、まだ肌寒いのに薄手のシャツは水を吸って肌に張り付いていた。明らかに異様な出で立ちの男は、自分の父親よりは若く、友達の兄よりはずっと大人のようだった。自分の身の回りにはいない年代の大人で見当がつかない。 「…もしかして、あなたは、宇宙人ですか」  知らない大人に喋りかけたのは初めてだった。咄嗟に出た言葉は、前の晩に見た映画の影響だ。宇宙人が自らの形を変えて人間のふりをする映画だった。  男は咳払いをする。痰が絡むのか、なかなか声が出ない。しばらくして、ゆっくりと話し出す。 「何故、そのことを」  抑揚のない声は人間味がまるで無い。無表情で動かない瞼が、蝋人形のようだった。 「僕はただ火球が見たくて…。あなたは、昨日の流れ星に乗って来たの? 今は、変身の途中?」  今朝のニュース、昨日見た映画、目の前の異様な雰囲気の男。単純な子供の頭が、点と点を強引に結びつける。 「まさか、こんなに早く擬態が見破られてしまうとは」  男は暗にその正体を認める。僕は興奮で声を上げた。すごい、本当だったんだ。映画みたいなことが自分の周りで次々に起こっている。今朝のニュースでは誰も気づいていなかったけれど、本当は宇宙人が隕石に乗って地球にやって来ていたんだ。ずっとこんな不思議なことが起こるのを待っていた。何もかも吹き飛ばすような出来事を。 「地球を侵略しに来たの?」  質問に男はじっとこちらを見ていた。その沈黙は答えだと思った。 「僕にも手伝わせて」  何故、と宇宙人は尋ねる。どうして人類を脅かすかもしれない存在に手を貸すのか。僕にはこの星に明確な不満があった。今まで誰にも話した事のない、自分だけの不満。 「あのね、僕は、月曜日も火曜日も休みにして、大人も子供も、今の半分しか働かなくていいようにしたいの」  日曜日は必ず遊園地に出かけなくてはならなくて、テレビでは毎日大好きな映画を流すんだ。アイスは一日に三つ食べてもよくて、それから、それから。子供ならではの欲望を次々に語る。両親がもっと家にいてくれたらいいのに。たったそれだけのことだった。無茶な願いを、宇宙人は瞬きひとつしないで聞く。 「人類の生産性を低下させて衰退させる、というわけか」 「そう、そうだよ。僕は宇宙人の映画をたくさん見てるから、こういうのには詳しいんだ」  首から下げたエイリアンのキーホルダーを自慢するように見せる。それが宇宙人との最初の出会いで、地球侵略の始まりだった。  僕は彼に人間としての振る舞いを教えた。人間の目はちゃんと瞬きをしなきゃいけないよ。うまく溶け込まないとまたすぐに正体がバレてしまうから、ちゃんと気をつけないと。注意を促す言葉は、母の口調によく似ていた。  宇宙人は自らを千田と名乗り、近くのアパートで人間のように暮らしていた。夜は近くの工場で働いているらしい。僕は学校が終わると、千田の家で世界征服の作戦を立てた。作戦会議は専ら映画を見ることだ。リサイクルショップで買った古いテレビとデッキで、父が集めている映画のDVDを持ち込んで二人で見た。映画の多くは人類に負けるものだったが、それを失敗例として改善策を話し合う。父と映画を観るのが一番好きだったが、千田と過ごす時間もそれはそれで良かった。何も知らない千田に物を教えるのは、まるで自分が大人になれたようだった。  千田のことは家族や親しい友達にも話さなかった。征服を目論む宇宙人に手を貸す。自分のしていることは人類に対する反逆行為だ。誰にも言わなかったのは、多少なりとも後ろめたさがあったからなのだろう。 そもそも小学生が見知らぬ成人男性の家に出入りするなど、今考えれば非常識以外の何物でもなかった。千田との関係が誰にも咎められることなく続いたのは幸運だったとしか言いようがない。  ずっと兄弟が欲しかったのだと思う。千田は、世の中をまるで知らない未熟な弟のようであり、容姿や振る舞いは成熟した兄のようでもあった。欲しくてたまらなかった存在を両方手に入れたのだ。  二人で映画館に行ったこともある。千田は大きなスクリーンで見る映画とポップコーンを気に入り、それからは自宅で映画を見るときも買って食べるようになった。どういうわけか、ポップコーンの固い部分を鉢に植えて大事に育てている。当然、芽が出ることはなかったが、千田はポップコーンが木になるものだと信じていた。僕が否定しても、公園の木になっているのを見たことがあるのだと言い張った。
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