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 指先が少しだけ引っ掛かる。  あぁ、毛糸が油を取って、かっさかさだ―。  一年中何かしらを編んでいる。趣味なので、暑くても毛糸を触るし、寒くてもレースを編む。  だけど、ちょうど寒くて、日の陰りが早くなったころ、妙に思い出す。 ―彼女は、今でも編んでいるのかしら?―  彼女とは、中学時代の同級生だ。  私の中学時代はあまりいいものではなかった。友達はいたが楽しかった記憶なんてものはない。学校なんて大嫌いだったので、自分の大好きなものを持って行こうなどとは到底思わない。つまり、休み時間に毛糸を編むなんてことは一度もしていなかった。  だって、掃除なんかろくに(自分が)やっていないのに、他の生徒は十分に掃除をしているはずのない教室に、大好きな毛糸が転がった時のことを考えただけでもぞっとする。  好きなことができないと、けっこうストレスを抱える。だから、学校が嫌だったのかもしれないが、そもそも「勉強をする」行為が苦手だった。  中学3年になって、進路だの卒業だのの大人からの圧力が増え始めるのもこのころで、無駄にクリスマスや、正月を控えている12月を楽しみに強いられた数年前に戻りたくなる。  このころはまだ、10月の最終週当たりで「アメリカなどキリスト教の社会ではハロウィンというものがあるそうだ」くらいで、今の様にアホ騒ぎをすることはなかったし、それが済むとすぐクリスマスケーキはいかが? などという、先行型扇情販売はなされていなかった。  クリスマスケーキや、プレゼントは12月に入ってから放送されていたので、11月は本当に何もない月だった。ちなみに、10月は運動会やテストがあるので、行事として全くなかったのが11月だっただけ。  日の暮れるのが早くなるので、授業が終わるとすぐに帰る。何でそんなに急いで帰るのかと聞かれたが、塾に行くわけではない。ただ、夕方のアニメを見るためだというと、変な顔をされた。アニメの何が悪いんだ。  塾へ行っていないのは、学年で私ともう一人くらいだったと思う。その子は今にして思えば発達障害があったのだろうが、その頃そんな便利なカテゴリーはなく、健康体であればみなと同じように過ごせと強制的に我々と一緒にいたはずだ。だから彼女が塾へ行かないのは解る。私が行かなかった理由は、学校さえ勉強をしたくないのに、塾へ行ったから勉強をしたくなるのか? それならば、学校へ行かず塾にだけ行けばいいじゃないか? と思っていたから。未だにそう思っている。  寒い中、夜の暗がり、夕飯を食べるにはいい時間に、何だって学校にいる時と同じメンツで顔を突き合わせ勉強をしなくてはいけないか? あほらしいにもほどがある。  私はそれくらい、勉強も学校も嫌いだったのだろう。勉強をしたから人生がうまくいくとは思っていないのだから。  そんな鬱々とした私の中学時代の愚痴はさておき、私がふと思い出したものは、「マフラー」だった。  思い出したきっかけはいつも些細なことだ。だけど、今年はどうもそう仕向けられた気がする。  毎年、寒くなって毛糸で何か編もうと思うときに必ず「マフラー」は数に入らない。首は一つだし、一本作れば何年もそれを使用できる。それに、今はスヌードのほうが温かいし、持ち運びも便利だ。マフラーのように長くて、畳まなきゃいけないモノよりも、クビに装着し、暑くなれば鞄に押し込める。マフラーほどかさばらないのだ。  だから、毎年マフラーは頭数に入らない。それと同様に手袋も作らなくなった。最近多く作るものが毛糸のカバンや、ロングベストの類だ。  毎年「なに編もう」と思った瞬間に、彼女のことを思い出していたのだが、今年はことさら思い出す。それもこれも、秋口のテレビのせいだろう。今年はやけに「手編みセーターを編む」といったものが放送されていた。  有名な編み物師(ニッター)だと思うが、世界の編み物を巡る旅というのをやっていた。子供のころに見たそのセーターに憧れて編み物をはじめ、実力をつけたのだと言っていた。  私が主に編む針の大きさは6号から10号の間で、たぶん、平均的大きさだ。  編み物をやらない人にとってはさっぱりな話だろうが、セーターをよく見ると、三つ編みに見えないだろうか? その穴の大きさがこの針の大きさなのだ。つまり、針が細ければそれだけ穴は小さくなり、穴が大きければ針は太くなる。  最近、百円ショップで見かける15ミリ何て太すぎるだろうと思う針で編めば、それは編み物として機能(暖かい)しているのか? と思えてくる。だがそれで編んだものも一応は「かわいい」し、編み物に変わりない。  そんな針の難しいニュアンスは置いておくけれども、とにかく、そのテレビの中の人は細い針で素早く編んでいた。あんなに早く編めないので、感心したし、編地を見てそれをささっと編んでしまうあたり、プロなんだと思う。  わたしだって、長年やっているので、編地を見てできなくないとは思うが、どうにもこうにも自分でデザインをしたり、考えるのが苦手で、与えられたレシピで作るほうを選ぶ。それを楽している。と言われてもいいのだ。私が私のためだけに作っているのだから。  そんな態度で毎年編んでいるので、自分用のものはたくさんあるが、他人のものは少ない。親だの、友達だのにあげることはしなくなった。  編み物を始めたころは楽しくてうれしくてあげていたが、いつの時だか不意に「もらってうれしいか?」と思うようになった。  色の好みもあるだろう。想像していたようなクオリティーじゃなかったかもしれない。そんなことを考えてあげなくなると、ますます自分用に作る。  だけど、体は一つしかなくて、一つあれば十分だったりする。  もう、何かしらを作っても、楽しくない気がする。  これを、世に言うスランプだというのならば、趣味のものでもスランプなんてものがあるのかとちょっとうれしくなる。  編み物なんて、同じことの繰り返しで、誰だってできると信じているから、スランプなんて起きるはずないじゃないか。それは、自分の名前を書くのと同じくらいたやすいものだという認識だから。名前を書くのに、スランプにならないだろう? なるわけないじゃないか、容易な作業なのに。  でも、どうも、スランプのようだ。  本当に、本気で面白くない。  と去年の冬から思いだし、それでも手持無沙汰なので作っていたが、それはあまりにも寝床が寒いので、ベッドカバーを作ったに過ぎない。それはただただ、何の技巧も、思考もなく編むだけのもので、必要なものは根気だけだった。  それが、この秋口に、「セーターを編んでみましょう」なんていうテレビを立て続けに見たものだから、セーターを編みたくなって、毛糸を探しに行ったが、そうだ、最近の毛糸はどうも受け狙いすぎていて、昔の素朴なものが減った気がする。  高級なもので作って、自分が着て似合うか? だからと言って、どこでどうしてこんなゴミを付けた? と思うようなラメだったり、アクセントをつけたものだったりと、私の好みに合わないモノばかりになって居た。  だから、毛糸屋に行かなくなったから、この数年編む気力がなくなっていたんだ。と思い出した。  家に戻り、何となく昔のセーターを出してみた。  これはまだ着れる。これも。……これ……去年着たか? いや、一昨年でさえ着なかったな。  色はいい色だと思う。若いころは年より臭いと思ったが、今はそれなりに着てもおかしくはないだろう。じゃぁ、これを解こう。  デザインはどうする? 本を探る。これじゃぁなんだよな。とヒットせず。  セーターを解いて数週間、毛糸玉を放置していたころ、ネットで編み図を発見する。高校の時に本で見て一目ぼれをして、でも、本を買う余裕がなくて、本を凝視して、模様だけ覚えていたあのセーターだった。  久しぶりに、セーターを編みたくて、色のいい糸に再会し、一目ぼれした編み図に巡り合ったら、もう編むしかないじゃないか。  さて編むぞとこたつに座り、糸を目の前にした瞬間だった。  糸の色はカーキーだ。編むにも目に疲れの来ない色だ。でも、カーキーと言えば格好いいが、いわゆる、「黄土色」だ。学校のグランドの色。埃たつような色。……だけど、この色好きなんだよな。そうさ、自分が好きな色で、好きなデザインで編んで何が悪いんだ。 ―彼女、今でも編んでいるのかしら?―  ひどく憂鬱で、ひどく面倒で、嫌で嫌で仕方がなかったあの時代を思い出す。だけど、今からやり直したいとは思わないし、思い出したくもないことばかりだけど、でも、あの頃があったから一応年を重ねたんだ。  そう、中学時代の私―。  彼女はどちらかと言えば不良のほうだ。  ちなみに、この当時の不良というのは、なかなか笑えるものだと、今なら思える。  その当時はやっていたアイドルが、ローラースケート履いていたけど、あれを学校で履いて廊下を滑っていた。授業中に。そうすると、先生たちがワーッと出て行って、自然と自習になった。受験生なのに何という余裕だろうかね。  わざわざ学校へ来てまで、そこがきれいな場所か? 鬼門か、あまり好ましくない場所、冬のプールの更衣室裏でタバコを吸っていたり、なんだか奇妙な匂い、シンナー臭のする、怪しい目の同級生ばかり。  言っておくが普通の公立中学だ。その当時はみんなこんなものだった。  そして、彼女もタバコを吸い、制服をわざわざいじって金と労力を費やしていた一人だった。  そんな彼女とは小学校から同じだったし、不良だからと言っていじめるような姑息なことはその当時なかった。不良はあくまでも自分たちの行為を高めるだけで、人に危害は加えなかった。だから、私だって生き残れたのだろう。  だいたい不良は元々いい子だったに違いない。とよく言うが、小学校時分はそれはおとなしかったり、素直だったり、かわいい子たちばかりだった。ここで言うのは女子のことで、男子は存在自体が嫌いだったので論外である。あー、今は男子のほうが好きだ。恋愛対象は男子だが、当時の同級生、いや、中学生が子供すぎて、何ともお粗末すぎて嫌いだっただけであるので。  ともかく、皆普段はいい子なのだ。たぶん。何かしら気に入らないことがあり、虚勢を張らないと生きていられなくなっただけなのだろう。ただそれを説明したり、それを他人に納得させられるほどの語意も、立派な講釈もなかったから、暴れるよりほかなかったのだろう。ただ、それだけなのだ。きっと。  だから、目立ちたくなくて、超モブで居たかった私が、彼女のようにはめを外したい子と一緒に居ても、その当時は別に変なことではなかったのだ。  だけど、 「ねぇ、編み物教えてくれない?」  と言われることにはかなりの衝撃と驚きであった。  クラスの中で編み物をわざわざ学校に持ってきて「手芸できる女です」アピールしている女子が、20人中5人は居たのに、持って行っていない私に声をかけたのだ。  たぶん、返事は、「私?」だったと思う。  彼女いわく、小学校のころから編み物や手芸をしている私を知っていたから、教えてほしいというのだ。  それは構わないけれど、  私は、人に教えることが苦手だ。自分がやっていることを順序だてて説明できる、料理番組の料理人をひどく尊敬する。   「まずは―、このお肉に下味をします。塩ですね―」  ……無理だ。無意識化でやっていることをいちいち言葉にできるほど、二つのことを同時にできない。  だけど、三人兄弟の長女である私には、人の上に立ち、物を教えたいという、何というか、そういう欲求が絶えずあったので、引き受けることにした。  ただし、条件を付けて。 「毛糸は、黒とか色の濃いものは避けて、糸の種類はモヘヤとかそういう高級なものではなく、並太ぐらいがいいと思う。針は8号から12号が扱いやすいと思う」  失敗したなーと思うのは、買い物に付き合わなかったのだ。  彼女は不良ながら塾に通っていた。電車で20分ぐらいの町にあるようで、その帰りに、毛糸専門店で購入してきたと言われた。  土曜日にお邪魔して、教えることにした。
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