タイミングで採用

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 闇の中で小枝を踏む音がした。  警備員は庭園に目を凝らしながら、音のしたほうに構えた。 「何者だ!」 「瀬田英次郎だ!」  即答で名乗られて、警備員は迷った。  関係者だろうか。いや、記憶にない。  だが、万一の場合があるため、一応聞き返した。 「せた えいじろう……様で?」 「そうだ! 見た目は細身のハンサム演歌歌手風、包丁を握らせれば、誰もがうなる料理を作る料理男子であり、迫真の刃傷シーンもこなす。昭和・平成タレントのいいとこ取りをしたような美点に恵まれた、令和の新星だ!」  庭は、芸能プロデューサー宅の庭である。そして『せた』と名乗ったその人の声はひどくよく通った。確かに関係者かも知れない。  警備員が思ったとき、瀬田英次郎は言った。 「今宵は挨拶まで! さらば!」  ざっと草を蹴る音がして、気配が消えた。  警備員は困った。上にどう報告したらいいのか。  しかたないので、翌朝、事の次第をそのまま伝えた。  プロデューサーは言った。 「どうして捕まえなかった! そんなネタ好きな卵を!」 「す、すみません」  その日のうちに警備員が増員された。    プロデューサーの頭には、『せた』のこんな画があった。 『みなさん、こんばんは。捕まった侵入者、せた えいじろうです』  両側から米兵に手首を掴まれてバンザイ状態の宇宙人、あの有名な写真の格好を真似て、舞台で自己紹介する美男子───。  疲れているアナログ世代、主に昭和前半生まれを、懐かしいネタで喜ばせたい。    プロデューサーは今か今かと連絡を待った。
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