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『人の心には、怪物が巣食う。世の中とは、とかく理不尽なものだ』
と、祖父は言った。他の誰かに聞かせたかった訳では無く、自然と口から滑り落ちて来たその言葉は、祖父の本心だったのだと今でも思う。
幼かった俺には言葉の意味は全く分からなかったけれど、周りの人達の視線や心無い囁きが、その意味を何年も掛けて少しずつ理解させてくれた。
***
そんな俺が物心がつくまでに分かった事。
俺はどうやら"クォーター"ってヤツらしい。
日本人の祖父と外国人の祖母。だけど、二人は正式な夫婦ではなかった。
祖父と祖母は間違いなく愛し合っていた。だけど周囲の人間が二人が一緒になる事を許さなかった。早くに妻を亡くしてから仕事一筋に生きてきた男が、突然15も歳の離れた外国の人と再婚しようとするのは、その人たちにとっては奇怪な行動に思えてしまったのだろうか。それとも、大手出版社の経営者の一族で、社長という立場だった祖父の財産を狙う者として祖母だけが攻撃の対象となってしまったのだろうか。
『妾のくせに』
『あんなに真面目だった広之進をたぶらかした女の血を引いているだけある。……ほら、娘まで男好きの顔をしているじゃないか』
祖母は家に入る事も許されなかった。娘の認知はするが、代わりに今後一切沖田家に関わるな。そんな約束までさせられて、祖母と母は何の身寄りも無い田舎街へと追われた。
唯一の救いだったのが、近所の人たちは祖母と母を好奇の目で見ること無く、住人として温かく迎え入れてくれた事だった。そして母にも愛する人ができ、やがて俺が生まれた。
ようやく手に入れた穏やかな暮らし。この頃には祖父も経営から退いていて、時々家を尋ねて来ては、二人でそんなに広くもない庭の手入れを楽しそうにしていたのを、幼い頃の記憶の中で覚えている。
母と祖母と父と、たまに来る祖父と……向かいの家に住んでいる同じ歳の幼馴染みの女の子。
幼い記憶の中に出てくる登場人物は5人だけで、それが俺の世界の全てだった。
その中に俺の存在を否定する者は居なくて、特に母は俺を「私の可愛いお姫様」と言って、目に入れても痛くないほどに溺愛していた。
……だから、俺は知らなかったんだ。
自分の姿が、他の人の "当たり前" からかけ離れたものだったのだという事を。
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