【3】

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【3】

 寒くもないのに体が震えて目が覚めた。  揺れる満員電車の中だ。  私は腕を組んで、座席に深く座って項垂れていた。  ゆっくりと顔を上げ、視線を巡らせる。  ……と。 「なんだあれ」  視界に、おかしなものが映った。人、人、人で埋め尽くされた通路の向こうに、ぼんやりと光る何かが立っている。  明るい電車の中であっても、彷徨う幽霊の姿を見ることはある。だが発光する人間を見る機会はそうそうない。かつて、十年以上前に神クラスのエーテル体を背負った男性と知り合いになったが、今私が見ているのはそれに近い。が、明らかに違う点が一つある。それは、 「なんて禍々しい」  神とは程遠い、言うなれば人型に結晶化した悪意の塊、そんな存在に見えたのだ。発光する光は薄い蒼色で、見ているだけで寒気がする。もしもあれがあの世から顕現した彷徨う幽体であるならば、まだいい。私にも対処のしようがある。だがもしもあれが人間から立ち昇る霊気であったなら、この上なく危険と言えるだろう。  私はその蒼い発光体に向けて神経を集中し、乗客の隙間を縫うように意識を走らせた。この場から動かずとも、ある程度は見たいものが見れる……はずだった。  ゴオッ!  電車が突如トンネル内に侵入し、視界全てが暗闇に包まれた。そもそもすでに、夜なのだ。本来なら電車がトンネルに入ったからといって、照明に照らされた車内まで暗くなるはずはない。 「あッ」  しかし時が止まってしまったかのような何もない空間の中で、蒼い発光体だけが浮かび上がっていた。私とそれの間には何人もの乗客を挟んでいるはずなのに、今この瞬間は全てが消え、蒼い光だけがはっきりと見えた。  人だった。  人間である。  優しい顔をした老人が、やや背を丸めて両手を動かしている。  微笑みに見える表情を窓の外に向けながら、右から左、左から右へと両手を動かして……そう、あれはまるで、目の前にあるものを移動させているかのようだった」 「そんな」  そして私は、その老人のことを知ってい……  ゴオッ!  電車がトンネルを抜け、見慣れた車内の光景が戻ってきた。  しかしそこにはもう、蒼く光る老人の姿はなかった。  私はこの時、電車を乗り継ぎ、父が入院しているという総合病院を目指していた。が、行き先を変更しなくてはならないと思い至った。仮に父が本当に呪いを受けたのだとしても、今日明日でどうにかなってしまうことはないだろう。その前に、先に訪れなくてはならない場所が出来た。    私がこの場所を訪れるのは、あの日以来だ。  十年前の、あの日。  大切な人を失った日。  『黒井七永事件』として、今も天正堂や警視庁公安部で語り継がれる未曽有の霊的事件によって、多くの尊い命が失われた(※ 新開水留著、『かなしみの子』参照)。私は、いや私たちは、おそらく事件に関わった人間は皆、あの日の悲しみを記憶から遠ざけ、逃げるようにして今日までを生きて来た。現実から目を逸らさず、事件と正面から向き合って来たと胸を張って言えるのは、唯一、新開さんだけだったという気がする。  私を最初に「まぼちゃん」と呼んだ人。西荻文乃(にしおぎふみの)さんを失ってからというもの、確かに私たちの絆はより一層深く強いものとなった長だが共有する悲しみは同じ分だけ、底のない深みへと落ち続けていった。そして今でも、間違いなく落ち続けている。  だが、あの時、文乃さんによってこの世へ戻された尊い命だってある。私はあの頃と全く変わらない二神邸(ふたがみてい)へと辿り着き、深呼吸を繰り返した。二神邸とは見渡す限りの草原中央にそびえ立つ、樹齢千年と囁かれる巨木を取り囲むようにして建てられた、まるで要塞のごとき邸宅である。  正面玄関の前に立った私は、引き違い戸の脇に設けられたブザーを押そうとして、自分の指先が震えているのを見て苦笑する。私はブザーを押すのをやめ、大きく息を吸い込んだ。 「ごめんください!夜分遅くに失礼いたします!三神まぼろ」  言い終わる前に、戸が開いた。 「あら、いらっしゃい。違う違う、おかえりなさい、かな?」  私が満員電車に揺られながら夢で見たその女性は、かつて父の奥さんだった人で、私とも浅からぬ縁がある。天正堂本部団体の正統後継者である当代の長、二神七権が孫、柊木青葉(ひいらぎあおば)さんだ。  彼女は十年前に起きた『黒井七永事件』に巻き込まれ、一時は心配停止状態に陥った。一度、彼女の魂は肉体から離れたのだ。だが、この世を去る瞬間に文乃さんが命を分け与えたことにより、柊木さんは奇跡的に息を吹き返すことが出来た。 「御無沙汰してます、柊木さん」 「まぁ、素敵なレディになられたわねぇ」 「柊木さんも、お変りなく」  柊木さんは垂れ目がちな両目を細めてニッコリ笑うと、首を傾け「嫌味?」と聞いた。私がぷっと吹き出すと、柊木さんは嗚咽をこらるような声を発しながら、力強く私に抱き着いた。
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