【4】

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「お身体に変わりはありませんか」  通された部屋で腰を降ろすなり私が問うと、柊木さんは涙を拭いながらこくこくと頷いた。  数年振りに間近で見る柊木さんは、やはり若い。年齢はすでに五十歳を回っているはずなのに、三十代後半と言っても誰も疑わない若さを保っている。見た目の美しさが魅力を底上げしているというのもある。だがその造形美以上に、彼女の肌艶が老いそのものから逃げ続けている印象だ。柊木家代々に見られる特徴だと分かってはいても、やはり目を見張るものがある。 「おかげさまで、特に普通の人達と変わりなく、健やかに過ごさせてもらっています」  穏やかな笑顔で柊木さんはそう言うも、それはおそらく不自然な言い回しなのだ。私にはその理由が分かっている。だが事情を解せぬ人間が聞けば、まるでの台詞に聞こえるだろう。若いとか、綺麗だとか、そういった話とはまた別次元の問題なのだ。 「しばらくぶりにお顔を拝見して安心しました。あなたも、お元気そうですね」  私は見つめられて、はいと頷く。「なかなか会いに来れず、申し訳ありません」  柊木さんは優しく首を振り、 「忙しくしておられることは聞いていました」  と微笑んだ。「何年か前に街でお会いしたと思いますが、その時は遠目に挨拶を交わした程度でしたし、やはりこの家であなたを見ると、あの時を思い出してしまうものですね」 「確かに、そうですね」 「もう十年にもなるんですねえ。私と坂東さんが……なんだと、後日祖父から聞かされた時は、神の思し召しといいますか、なにかそういった奇跡を想像していたのですが。ですがやはり、西荻さんと仰る方のお力添え無くてしては、今日までの日々はなかったのでしょうね」 「それは、はい。……申し訳ありませんでした」 「あなたを責めているように聞こえましたか? 何故謝るんです?」 「あの時私は、何も、出来ませんでしたから」  柊木さんは私を見つめたまましばし口を閉ざし、そして言った。 「あなたに課せられた使命がなんなのか、それを私が想像することではないけれど、あまり、ご自分を過信なさらない方がいいですよ」 「はい」 「これも、別に責めているわけじゃありません」 「はい」 「あなたが子供の頃から見てきました。三神さんが選んだ自転車をこぐあなたの後ろ姿を、私だって、今でも鮮明に覚えています。人には、必ず子供だった時代があります。いくら大きな使命を背負った力の強い霊能者だとしても、あなただってかつては小さな子供だった。出来れば、私は、あなたには普通の人生を歩んで欲しかった。それはきっと、三神さんだって同じように思っていたはずです」 「……はい」  その自転車のことは私もよく覚えている。そして自転車を選んだのが本当は父ではなく、柊木さんだということも知っている。それでも柊木さんは「三神さんが選んだ」と言い、その気づかいと優しさが私の胸に沁みた。 「うふふ、どうしたって説教臭くなってしまうわね。いけないいけない、私もやはり年ですね」  目尻を指で撫でながら笑う柊木さんに、 「いえ、決してそんな」  と首を振った時、 「普通の人生なんてないことは、私と三神さんが一番よく分かっています」  柊木さんが声のトーンを落とした。  震える寸前の、力強い声だった。 「だからこそ、あなたには普通になってほしかった。私を助けるべきだったとか、後悔しているだとか、私が聞きたいのはそういうことじゃない。良い人が出来たとか、恋に効くおまじないはないだろうかとか、そういった素敵で普遍的で乙女チックな……」  柊木さんは再び口を閉じ、私から顔を背けた。  私は何も言えず、両手を床について頭を下げた。泣くような年齢じゃない。そう思ってはいても、柊木さんの言う通りだ。私はいつまでもたっても、この女性(ひと)と父の前ではただの娘でしかないなのだ。  しばらくは時間の流れゆくままにしておいた。その後、私は顔を伏せたまた柊木さんに尋ねた。 「二神当代は、もうお休みになられておいでですか?」  二神邸に足を踏み入れ、家主に挨拶をせぬままでいるのはやはり気が休まらない。そして何より、私には二神七権に会わねばならない理由があった。だがここで、思ってもみない返事が柊木さんの口から発せられた。 「数日前に、用があるとかで」 「……え?」  素直な驚きの声が漏れた。  出かけて行った、ということだろうか?  意外だった。  というより、そんなことありえるのだろうか。  確かに、柊木家の人間は皆恐ろしく若い。二神さんは私が前回お会いした時、八十代後半であったにも関わらず家の屋根に飛び乗って見せた。地面から、家の屋根の上にである。元気は元気、丈夫は丈夫、そういう人だというのは私もよく知っている。だが問題はそこじゃない。  父である三神三歳からは、二神七権はとうの昔に天正堂の現役を退き、隠遁生活に入ったと聞いていた。ただの隠遁ではない。彼はかつて起きた『黒井七永事件』の際にもそうであったように、いつか来るの為に霊能者としての己が力を練り続けているのだという。祈祷師、呪い師として現場に立つことはないにせよ、死ぬまで修行、というのがに課せられた宿命なのである。  余談だが、柊木家出身である二神七権が長命であり、しかも三神三歳が私を抱えて本部を出奔した身であるが故、今日にいたるまで代替わりは行われず後継者問題に団体は揺れ続けている。本来であれば三神三歳が次期後継者であり、二神の名を継ぐはずだったのだ。  そのことも、もしかしたら関係しているかもしれない。父を天正堂階位・第三である『三神』という名に任命したのは、誰あろう二神七権だ。結果このような有様になったことで、任命者として責任を感じ、次なる候補者が出て来るまでは踏ん張る気概を見せようという腹積りなのかもしれない。口は悪いが、器の大きな人なのだ。  であるからこそ余計に、二神七権が自分の屋敷、敷地を含めた己の結界内から外に出るということは考えられないのだ。それは修行を中断する、放棄するという意味に他ならないからだ。 「それは、本部からの要請ですか? それとも、ご自分で決められて、ご自身の意志で?」 「分かりません。書き置きが、玄関の内側に貼り付けてありました。祖父の字で間違いないと思います」 「書き置きが。そこには、なんと?」 「『儂が終わらせる。お前は出るな。用事を済ませて帰る』と」  胸騒ぎがした。  夢の中で、二神七権は私に向かってこう言ったのだ。  ――― お前が終わらせろ  と。  それなのに?  私の見えないところで、何かとてつもないものが蠢いている、そんな気がした。
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