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レモンまたはヨーグルトで酸味を加えた、バターミルクパンケーキは、桐生若葉の得意料理だった。彼女がパンケーキを作っている朝は、焦がしバターの香りが鼻をくすぐるので、雅臣にはすぐにわかる。ベッドから起きあがってくれば、リビングでパンケーキを作っている彼女に出会う。
「おはようございます。本日で十一月の結婚式の、二か月前になりました」
小物雑貨の販売員である若葉は、スケジュールを朝礼風に言うくせがあった。
雅臣は起きたままの服装だったが、若葉はもう私服に着替えていた。オフショルダーのブラウスにスキニーパンツ。ウェーブパーマがかかった長髪は、後ろでひとつにまとめている。そして左手には婚約指輪をはめて、右手にはフライ返しを持っていた。
「本日は土曜日です。雅臣は休日ですが、私は仕事です。ごめんなさい。雅臣ひとりでケーキ屋さんへの打ち合わせと、招待状の手渡し分を、お願いします」
「へい」
雅臣はダイニングテーブルに、ふたり分のフォークとナイフを並べた。眠たそうに一重の目をこする。
若葉はホットプレート上の四枚のパンケーキを、裏返していった。
「ケーキ屋さんとは、何時に待ち合わせだったっけ?」
「午前十一時」
雅臣は白い皿を差し出した。若葉がぽんと、パンケーキを置く。
「ケーキ屋に行くの、ちょっと憂鬱だ」
雅臣がバターナイフを片手にぼやいた。
「なんで」若葉がレーズンバターを渡した。
そして若葉はボウルからパンケーキの生地をすくい、ホットプレートに落としていった。黄色い円が並ぶ。
「今日もお店に、陸上部のころの後輩さんがいるんでしょ? 話しやすいじゃない」
「そいつだよ。憂鬱の原因」
雅臣は焼きたてのパンケーキに、レーズンバターを塗った。
「久々に会ったらよそよそしい。だいたい仁科は……昔から、とっつきにくいんだ」
レーズンバターが、パンケーキの熱で溶ける。
「それに後輩ったって、俺は三つ上のOBだから。一緒に部活していないし」
「うーん」
若葉は困り顔で――キッチンからシーザーサラダ、半熟のスクランブルエッグとミニトマトを並べた皿を、トレーに乗せて運んできた。それらを、バターミルクパンケーキの隣に並べる。
「営業職の雅臣でも、接しにくいひとって、いるんだね」
「話下手な営業や販売なんて、どこにでもいるだろ」
「そういう子には、まず笑顔を教えているよ。口角だけでもあげてって」
若葉は口角に指をあて、営業用の笑顔を浮かべた。
「……ね。とっつきにくいって、具体的にどんな感じ?」
「愛想がない」
若葉はパンケーキにレーズンバターを塗り、その上にスクランブルエッグを重ねた。半熟のスクランブルエッグはクリームのようにとろけている。
「写真あったら、見せて」
「ちょっと待ってろ」
雅臣はパンケーキを丸めて、口にくわえた。
そして携帯を操作して、古い画像を表示すると、若葉に手渡した。
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