42人が本棚に入れています
本棚に追加
/40ページ
『両名の意見を知りたいので、次回はふたりでお越しください』
先月の八月に打ち合わせした際、そう言われた。しかし若葉と休みが合わず、今日もひとりで来る運びになった。
「悪い」飾らない言葉で謝る。
「次は必ず、ふたりで来るようにする。無駄な時間を取らせて、悪かった」
親子連れは笑顔で店を出ていった。「せなちゃん、またね」という明るい従業員の声が、後ろから聞こえる。
「……そんなに謝らないでくださいよ。困るから」
とたん、仁科の口調に親しみがこもる。
「前回と違って、人数を教えてくれただけで十分です。ただ津久田先輩だけじゃなくて、新婦の方にも、喜んでもらえるケーキを用意したいので」
津久田先輩。懐かしい呼ばれ方だった。
「次はふたりで来てください」
「ああ、わかった」
「気になるデザインがあったら、写真撮ったらどうです?」
ほかに客がいないと、態度が和らぐ。そう理解した雅臣は、ほっと息を吐いた。
気の緩みから、聞かなくていいことを聞いた。
「そうだ仁科。お前の彼女……今の子と、同じ名前じゃなかったか?」
「………」
「ほら。高校のグラウンドにも来てた子」
仁科が眉をしかめた。
「せな、じゃなかったっけ?」
「……違います。世良、です」
仁科はなぜか雅臣の後方に視線をやった。なにか気になるのかと振り返れば、先ほど「せなちゃん」を見送った女性従業員が、棚の商品を整えている。
「せらさんか。彼女とは、仲良くやっているか?」
「いいえ」仁科はウェディングケーキのアルバムを閉じた。
「もう別れましたよ。高校から何年、経っていると思っているんですか」
「……悪い」
雅臣はまた、深く仁科に謝った。
女性従業員は『私はなにも聞いていませんよ』という顔で、そそくさとバックヤードに入っていった。たぶん気をつかわれている。
それから仁科は、淡々と次回の日取りを決めはじめた。雅臣は申し訳なさから、次の打ち合わせを、なるべく早い日にした。
三日後の火曜日――若葉の休日の、午後七時半。自分は仕事だが、この時間なら間に合うだろう。
「津久田さま、本日はありがとうございました」
雅臣は店を出るときに、仁科の笑顔を見た。心からではない笑顔。
最初のコメントを投稿しよう!