1. 閑散期のシロップ

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「東山さん。ちょっと、話をしようか」 「はい? なんでしょう」  栞は安藤と向かい合った。 「込み入ったことを聞くけれど……きみ、最近はどうなの?」 「えっと」  栞は頬を緩めた。 「仁科さんとは、順調だと思います。付き合って四ヵ月になりますが、一回も喧嘩していませんし。次の定休日はデートの約束もしてますし」 「……そう」 「先月は全然、デートしてなかったんですよ」  栞ははにかみながらも、つらつらと語った。  片思いが実って交際をはじめたので、まだ浮かれ気分だった。 「仁科さん、私の試験が終わるまでは駄目だって。……製菓衛生士試験」 「国家資格だしね」 「そですね」 「受かった?」  栞は頬を緩めたまま「はい」と返事をした。  製菓衛生士の資格は、衛生面の管理に関わる国家資格で、パティシエの多くが持つものだ。栞が通う短期大学では、資格取得が二年生の教育過程として、組み込まれている。 「無事、合格です。昨日発表があって」 「おめでとう」 「はい。これでデートに行けます」  栞は笑っていたが、ふと黙った。  相手からの反応が、薄いように感じる。 「……あの、どうかしましたか?」 「うん」  安藤は天井を見ていた。  栞も天井を見てみた。エアコンの風が吹いている。  安藤が視線を上にしたまま、言った。 「僕、のろけを聞こうとしたわけじゃないんだ」 「……はい?」 「今って七月下旬だよね。きみ、製菓コースの短大、二年生だよね」 「……はい」 「……つまり最終学年の夏だよね」 「……ええ、まぁ」  栞は、外で鳴く蝉の声を聞いた。日暮の声。 「『最近どう?』ってたずねたら、ほら就職とか? 実習の感想とか、それこそ製菓衛生士試験の結果とか」 「……あ」 「そういうものが、まっさきに聞けると思っていたんだ……」  安藤も蝉の鳴き声を聞いた。視線は遠い空にやった。まだ空は青い。
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