3. ヘキセンハウス

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 ロビーには恒例で作られている、大規模のヘキセンハウスがあった。  そのヘキセンハウス――ドールハウス大のお菓子の家はいくつもあり、幅三メートル奥行二メートルのスペースに、幻想的な風景を作っていた。三角屋根のヘキセンハウスは六軒も建っており、一軒だけ屋敷のように立派な造りだ。  どのヘキセンハウスの壁も、香辛料と黒砂糖が入ったジンジャークッキーが使われている。ジンジャークッキーの壁にはアイシングで、レンガ模様が施されていた。その上にシュガークラフトのクリスマスリースや星型のドロップスが、ちりばめられている。  クッキーの壁には飴の窓がついていて、中からライトが当てられていた。飴細工の窓は、ステンドグラスのようにきらめいている。  屋根も、こんがりと焼かれたジンジャークッキーでできていた。すべての屋根に雪の表現として、白いアイシングと粉砂糖が、たっぷりかかっている。  家の周りに広がる粉砂糖の雪野原では、マジパン細工の人形たちが、賑やかに遊んでいた。  ロビーを通る人々の何人かが足を止め、ヘキセンハウスの風景を見つめている。小さな子供は「美味しそう!」と歓声をあげていた。  ボードに書かれた作品概要を読んでいた男性が、栞に気づいて顔をあげた。 「東山さん、お帰り」  その四十代の男性は、細身のダウンジャケットを着ていた。軽く革靴の音を立て、栞に寄る。そして『La maison(ラメゾン) en bonbons(アンボンボン)』という店名が入ったケーキ袋を、栞に差し出した。 「すみません店長。荷物、持っててもらっちゃって」 「いいよ。それより店の外だし、僕のことは安藤(あんどう)さんとか、おいお前、とか呼んでくれていいよ」 「ずっと『店長さん』って呼んでいたし。もう外でも、店長と呼ばせてください」 「さらりと流したね」 「お前なんて言ったら、根に持たれるの、わかっていますから」  栞はケーキ袋を両手で持つと、辺りを見回した。 「店長、仁科(にしな)さんは」 「まだあそこで、ヘキセンハウスを真剣に見ているよ」  店長の安藤は、ヘキセンハウスの屋敷のほうを、目で示した。  ジンジャークッキーの壁の向こうには、チェスターコートを着た若い男性がいた。生真面目そうな身なりで、じっと飴細工の窓明かりを見つめている。 「仁科くんはヘキセンハウスが大好きなんだってさ。なんでもどこかの百貨店で、立派なヘキセンハウスに惚れ込んで、パティシエを志すようになったそうだよ」 「……知らなかった」  栞はお菓子の家に魅入っている、彼を見つめた。  仁科崇人(にしなたかひと)。栞よりも一年ほど早く洋菓子店 La maison(ラメゾン) en bonbons(アンボンボン) で働いている、パティシエの男性。栞より三つ年上の二十三歳。  栞とは恋仲であり、交際をはじめてから、十か月が経とうとしている。
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