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「……夏はほんと売れなくてさ。暑さで食欲が落ちるからね。材料面でも、チョコレートとかもたないし」
製菓業界にとって、夏は閑散期だった。パティシエたちはこの時期に、講習やコンテストに出かけて、スキルアップを目指す。
この店の若手のパティシエも、今日は講習会に出かけていた。
「店が暇なら……せめて、東山さんと今後のこととか。色々な話をしたかったなぁ……」
安藤は大げさにうつむいた。栞は背中に寒気を感じた。
「……店長。私」
「うん」
「とても気にさわることを言ったのなら、おわびしま」
「いやいやいや」
安藤が目尻をさげて笑った。栞はまだ寒気を感じている。
さっきは言葉をかぶせられた。取り合ってもらえていない。
「僕も、聞き方が悪かったからね。……え? でも東山さんってもう二十歳? 僕がフランス修行を決めた年齢と同じ?」
「………」
「ま、もういいか」
「店長」
栞はめいっぱい、落ち着いた声を出した。
「わ、私だって、就職や将来のことは考えています。だいたい私はここのバイト、就職を前提に、採用されているじゃないですか」
「甘くなりすぎないように『採用するかわりに必ず四年で出る』も条件だったね」
「そうそう!」
短大在学中に二年、就職してから二年。そういう約束も交わした。三年から五年で転職が推奨されるパティシエならではの、条件といえた。
「やっぱ今すぐ出てってくれる?」
「勘弁してください」
栞は雇用主に、深く頭をさげた。
「冗談だよ」
「笑えません」
安藤は口笛を鳴らした。栞は安藤の口笛が、海外のコメディー番組のものだと気づいた。……どうやら上司の機嫌は、そう悪くないらしい。
だけれど今うかつなことを言えば、本当に就職口が消える。
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