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栞は店名が入ったケーキ袋を両手に抱え、こう言った。
「私、店長が作るお菓子、好きですよ。なんていうか、さすが魔女だなって思います」
「魔女?」
安藤が栞を横目で見た。
「店長はお菓子の家を建てたひとだから……魔法が使える、魔女かなって」
栞は尊敬の意を込めて、安藤を魔女に例えた。
「ああ、それで僕が魔女なのか。けど品のない言い方をすれば」
安藤が栞の正面に回る。そして笑顔で見おろした。
「うちのお菓子の家には……男の子を捕まえた、悪ーい魔女がいるよね?」
「……私ですか?」
栞は大理石の壁に手を当てて、乾いた笑いを浮かべた。壁際に追い詰められた気分だった。
「お菓子もたらふく食べた甘党。私の大切なお家で、なにをしてくれたんだか」
安藤はふんぞりかえっていた。
「店長。私が職場恋愛していること、実はめちゃくちゃ怒っています?」
「いいや? 魔女像を求められたから、サービス精神で言っただけ。プライベートは自由にしてくれたらいいよ」
「本当に本当ですよね」
安藤は栞が信じるまで、首を縦に振った。
「だけど魔女って、最後はかまどで焼かれるからやだなぁ。……僕は店長だし、お菓子の家そのものがいいよ」
「それも素敵ですね」
「だから東山さん、魔女役に決定ね」
「火あぶりの刑を押しつけられたようで、複雑です」
「グレーテル役と、ひとりふた役すればいいよ」
栞と安藤は、ロビーの風景を見つめた。上のフロアーへ行くエスカレーターには若い男女がいて、広い自動ドアの向こうには、家族連れが歩いていた。
「お客さんだ」
自動ドアのほうを見ていた安藤が、声を弾ませた。
「……今、ダッフルコートを着た女の子がいた。あれは前に、うちに来たお客さんだよ」
「え、どこですか?」
「もう見えなくなった。……ひとりでタルトタタンを見ていて、その次の週にお姉さんと、タタンを買いに来てくれた。印象深い子だったよ」
「そういえば私もさっき、お客さんに会ったんですよ」
栞はパウダールームであった出来事を、安藤に伝えた。
「お客さんに出会う日って、ありますよね」
「まだ松の内だしね」
栞と安藤は、なごやかに笑いあった。
「……あ。仁科さん、ヘキセンハウス、もう見ていませんね」
栞は柱にもたれている、仁科を見つけた。ヘキセンハウスからは離れている。
「変だな」
「え」
安藤は眉間と口元にしわを寄せて、仁科を見ていた。
「急に元気がないような……疲れたのかな」
「そうですか?」
栞は安藤の言葉を聞いたあと、もう一度、仁科を見た。
うがった見方かもしれないが、ヘキセンハウスを眺めていたときより、場に固まっている。
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