3. ヘキセンハウス

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 栞は店名が入ったケーキ袋を両手に抱え、こう言った。 「私、店長が作るお菓子、好きですよ。なんていうか、さすが魔女だなって思います」 「魔女?」  安藤が栞を横目で見た。 「店長はお菓子の家を建てたひとだから……魔法が使える、魔女かなって」  栞は尊敬の意を込めて、安藤を魔女に例えた。 「ああ、それで僕が魔女なのか。けど品のない言い方をすれば」  安藤が栞の正面に回る。そして笑顔で見おろした。 「うちのお菓子の家には……男の子を捕まえた、悪ーい魔女がいるよね?」 「……私ですか?」  栞は大理石の壁に手を当てて、乾いた笑いを浮かべた。壁際に追い詰められた気分だった。 「お菓子もたらふく食べた甘党(ペシェミニヨン)。私の大切なお家で、なにをしてくれたんだか」  安藤はふんぞりかえっていた。 「店長。私が職場恋愛していること、実はめちゃくちゃ怒っています?」 「いいや? 魔女像を求められたから、サービス精神で言っただけ。プライベートは自由にしてくれたらいいよ」 「本当に本当ですよね」  安藤は栞が信じるまで、首を縦に振った。 「だけど魔女って、最後はかまどで焼かれるからやだなぁ。……僕は店長だし、お菓子の家そのものがいいよ」 「それも素敵ですね」 「だから東山さん、魔女役に決定ね」 「火あぶりの刑を押しつけられたようで、複雑です」 「グレーテル役と、ひとりふた役すればいいよ」  栞と安藤は、ロビーの風景を見つめた。上のフロアーへ行くエスカレーターには若い男女がいて、広い自動ドアの向こうには、家族連れが歩いていた。 「お客さんだ」  自動ドアのほうを見ていた安藤が、声を弾ませた。 「……今、ダッフルコートを着た女の子がいた。あれは前に、うちに来たお客さんだよ」 「え、どこですか?」 「もう見えなくなった。……ひとりでタルトタタンを見ていて、その次の週にお姉さんと、タタンを買いに来てくれた。印象深い子だったよ」 「そういえば私もさっき、お客さんに会ったんですよ」  栞はパウダールームであった出来事を、安藤に伝えた。 「お客さんに出会う日って、ありますよね」 「まだ松の内だしね」  栞と安藤は、なごやかに笑いあった。 「……あ。仁科さん、ヘキセンハウス、もう見ていませんね」  栞は柱にもたれている、仁科を見つけた。ヘキセンハウスからは離れている。 「変だな」 「え」  安藤は眉間と口元にしわを寄せて、仁科を見ていた。 「急に元気がないような……疲れたのかな」 「そうですか?」  栞は安藤の言葉を聞いたあと、もう一度、仁科を見た。  うがった見方かもしれないが、ヘキセンハウスを眺めていたときより、場に固まっている。
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