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栞は安藤と共に、仁科のもとに寄った。さきほどは気配を察するなり、時間を気にしていたが、今の仁科はなんの反応も示さない。
「仁科くん、大丈夫?」
「なにがです?」
仁科は柱にもたれたままだ。
「いや、具合が悪そうに見えたから」
栞は安藤の背に隠れて、やりとりを聞いた。
「立っているのに、疲れただけです」
「………。上の階へ食事に行こうか? クリスマスシーズンから頑張ってくれたし、今日ならふたりともおごるよ」
「僕は遠慮します」
「……仁科さん?」
栞は不安になった。仁科は笑っているものの、話し方がいつもと違う。抑揚がない。
「そう食べられそうにないので。またの機会に」
「わかった」
安藤は見限りをつけたようで、栞と視線を合わせた。
「東山さんはどうしたい? 帰るなら、まとめて車で送るけど」
「え、私は」
栞は言葉に迷った。……帰りたくないものの、食事は断られている。
「……まだ時間があるので、外のイルミネーションを見に行きたいです」
小さく「ご飯にも行きたかったですけれど」と、つけくわえた。
「イルミネーションか。僕は家族と見るからいいや」
安藤は軽い調子で、仁科の背を叩いた。
「仁科くんは見ていきなよ」
「……わかりました。あとで東山を送っていきます」
仁科は少し、声に張りを戻した。
「安藤さん、すみません」
「花びら餅を買いに行くからいいよ。僕も新年を祝うお菓子が、食べたくなったし」
安藤は栞が持っているケーキ袋に目をやった。
「東山さんはそれ食べて、色々と頑張ってね」
「あ、はい」
栞は袋を強く握った。
「じゃあふたりとも、明日と明後日は臨時定休日。三日後からよろしく」
安藤はスケジュールを言うと、ダウンジャケットのポケットに手を入れて、ホテルから出ていった。
仁科は栞とふたりきりになると、まず、ケーキ袋に目をやった。
「ガレット・デ・ロワか?」
「はい。社員割引で買いました。今日中に食べるつもりです」
ガレット・デ・ロワはフランスのパイ菓子で『王さまの焼き菓子』という意味がある。
フランスでは一月六日に食べられている、伝統のパイ菓子だ。表面に繊細な模様が刻まれている。
中にはフェーブと呼ばれる陶器人形が入っていて、食べるときにそのフェーブに当たった者は、その日限りの王冠と、一年間の祝福を受ける。
「なら、遅くならないように帰らないとな」
仁科がエントランスに足を向けた。自動ドアが開く。
「……崇人さん」
栞はふたりでいるときの呼び方で、仁科を呼んだ。
「どうしたんですか? さっきから少しおかしいです」
「………」
「どこか具合が悪いんですか」
栞は仁科を追いかけて、エントランスを出た。
「栞、早く行こう」
仁科は足早に、イルミネーションがある中庭に向かった。
「世良を見かけた。ホテルにいたくない」
細い声で言った。
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