1. 閑散期のシロップ

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 栞が安藤の態度に動揺していると、店の自動ドアが開いた。  栞は客を出迎えるべく、ぱっと振り返り、そして言葉を失った。 「お疲れ様です」 「うん、お疲れ」  この店の若手のパティシエである仁科が、自動ドアをくぐって、店に入ってきた。無愛想な表情で。  彼は講習帰りのためか、今日はネイビーのスーツを着ている。落ち着いた茶に染めた髪と、スーツのストライプ柄が、硬い印象をやわらげている。  栞は思わず、仁科から顔を背けた。……化粧に気を抜いたので、あまり顔を見られたくなかった。 「急に呼び出して悪いね」  安藤が栞より前に出て、仁科を迎えた。 「オーダーが来たんだけど、ちょっと仁科くんに、話を聞きたくて」 「全然いいですよ。店に寄るつもりでしたし……。けど、ひと休みしてからでいいですか?」  仁科が額の汗をぬぐい、首元のネクタイを緩めた。 「外が暑すぎて、倒れそうです」 「そんなスーツで行くからだよ」  安藤は黙って、栞の手から、ガラス瓶を取りあげた。そしてピンク色のジンジャーシロップを、仁科に向ける。 「今日は特別に、ジンジャーシロップを持ってきたんだ。……自家製の『ジンジャーエール』を作るから、休憩室で待っていてよ」  栞は、あ、と口を開けた。  薄切りのレモンと、爽やかな香りのスペアミント。冷凍庫以外にも、ヒントは散りばめられていた。 「マジですか。いただきます」  仁科はくだけた態度を見せると、黙り込んでいる栞に、目をやった。 「に、仁科さん。お疲れ様です」  栞はぺこりと頭をさげた。顔をあげると、仁科が側まで来ていた。 「な、なにか」  仁科は栞の顔を、まじまじと見つめ、安藤に言った。 「店長。東山、少し疲れてないですか?」 「そうかもね」  安藤も栞の顔を、じっと見た。 「東山さんにも、休んでもらうことにするよ。仁科くんは先に休憩室へ行ってて」 「わかりました」  仁科は栞に「無理するなよ」と言って、休憩室に向かった。  栞はまた、安藤とふたりきりになった。 「仁科くん、いいよね。きみが夢中になるのもわかるよ」  安藤は冷凍庫から、氷と、冷えたグラスをふたつ、取り出した。続いて冷蔵庫から、炭酸水を出す。  グラスに透明感がある氷を入れると、新生姜から作られたジンジャーシロップを、手際よく注いだ。 「今だってすぐ、東山さんを心配してさ――今日の東山さん、アイカラーは重ねてないし。まつ毛だって巻いただけなのに、そのへん気づいてなさそう。……あいつ顔色しか見てないんじゃない?」  シロップと氷の上に、炭酸水を注ぐ。炭酸が弾ける音がして、薄紅色のジンジャーエールができあがった。グラスのふちには輪切りのレモンが飾られて、光る氷の上には、スペアミントが添えられる。 「今日は仁科くんがシフトにいるときより、簡単なメイクだよね」 「……私のメイクの違い、店長は、ご存知だったんですね……」  栞は銀のトレイを構えて、安藤の側に行った。顔色は良くない。 「そりゃ気づくよ。あのさ、店を出たら、もう好きにしていいから」  安藤は作りたてのジンジャーエールをふたつ、銀のトレイに置いた。 「勤務時間中は、あまり華美でないメイクをお願いします」 「………」 「これ以上メイクが派手になる前に、言っとくね。……飲食店の接客業だから、ケーキより目立たないように」  今日のほうが理想に近いかな。安藤はそう、栞に指導した。 「身だしなみとお洒落の違い、わかるよね」 「はい」  ヘアカラーは自由、アクセサリーは禁止、長い髪はまとめる……等々が書かれた規則の中に、メイクについての注意事項も記載されていた。 「注意点はそれだけ。じゃ、今後ともよろしく」 「よろしくお願いします」  栞は複雑な気持ちで、安藤に頭をさげた。さげる前に、安藤の髪を見た。  アッシュブロンドに染めた髪色は、帽子を被る職場では、それほど目立たない。
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