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3. ヘキセンハウス
パウダールームでリップクリームを塗っていると、鏡越しに、ある少女と目があった。鏡に映る自分も、自分の後ろを歩いていた少女も、驚いた顔でいる。
東山栞はつい鏡越しに、その少女に会釈した。
会釈された彼女は、少しいやらしく笑った。
「こんばんは。……これからデートですか?」
「ち、違います」
栞は後ろに振り返った。リボン型のピアスと、おろしたセミロングの髪が揺れる。手に持っていたリップクリームは、隠すようにポーチに入れた。
後ろにいた少女は、栞がアルバイトで務めている洋菓子店の、準常連客だった。ショートカットで背が高い女子高校生。今はグレーのトップスに、流行のボトムスを合わせている。
「デートじゃないです。その、ただのお出かけです」
「じゃ、ご家族とお出かけですか」
「いえ、お店のみんなと」
「へえ」
少女が栞の隣に並んだ。
「お店のみんなと――このホテルに、ヘキセンハウスを見にきたんです」
「ヘキセンハウス?」
「えっとですね」
栞は見透かされた乙女心をごまかそうと、ヘキセンハウスについて話し出した。
一月六日。午後七時過ぎ。
洋菓子店『La maison en bonbons』、勤務二年目のアルバイトである東山栞は、市内に建つリゾートホテルに来ていた。
このホテルのロビーにて、十二月末のクリスマスシーズンから明日までの間『ヘキセンハウス』が飾られているからだ。ヘキセンハウスとは、固いジンジャークッキーなどを組み立てて作る、お菓子の家。クリスマスに出回るもので、ドールハウスサイズのものが多い。
短期大学の製菓コースに通う栞が、友人たちと講座で作ったものが飾られていたので、それを見に来た。店は正月営業で早くに閉めたので、ホテルまでは店長の車で。
「ヘキセンハウスはヘンゼルとグレーテルに出てくる『お菓子の家』の、ミニチュアです。最近は雑貨店やスーパーで、簡易キットを見かけますよ」
「……そういえばロビーになにか、展示されていたような」
「それです。このホテルには毎年、製菓コースの二年生有志が作ったヘキセンハウスが、飾られているんです」
「恒例なんですね」
栞の隣にいる少女は、前髪を櫛でとかしていた。
「良かったらお客さまも、あとでヘキセンハウスを見てくださいね。私も参加したので」
栞の言葉に、少女は吹き出した。
「お姉さんたら、ここお店の外なのに。私のこと、お客さまって」
「……すみません。えっと、松田さま」
「松田さまって。どこまでお店のひとなんですか」
少女は腹を抱えた。
月に一、二回の頻度で来る女子高校生。来客用と思われる大きな菓子ひとつと、自分用と思われる小さな菓子をひとつ、買っていく。
少女の名字が『松田』だと、栞はパウンドケーキ一本を取り置きしたときに知った。
「名前を呼ばなくても会話できるのに。東山のお姉さんてば、面白いの」
「え?」
「……お姉さん、高一の弟いますよね? 航って名前の」
「はい。松田さまと同じ高校です」
「私、あのひととクラスも一緒ですよ」
「嘘。あの子、学校ではどんな感じですか?」
「普通にいい感じですよ。よくひとの食べ物をつまむから、ひんしゅくも買っていますけれど」
顧客の少女は「これから親戚と新年会なので」と、パウダールームを後にした。
栞は彼女と別れると、ホテルのロビーに戻る前に、鏡で全身を確認した。
パステルカラーのニットにシフォンのプリーツスカート。ブラウンのショートブーツ。幼く見られる顔には、派手でないメイクを施している。アクセサリーもつけた。
精一杯のお洒落はした。ただ洋菓子店のバイトあがりなので、砂糖やバニラの香りが髪に染みついている――こればかりは、直しようがない。
栞はロビーに戻る途中で、ホテルの中庭を見た。中庭は、イルミネーションによるライトアップが行われている。ダッフルコートを着た中学生くらいの少女と、その家族たちが笑顔で歩いているのが、ほほえましかった。
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