借り腹さん

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*** わたしには、幼い頃からの許婚がいた。 とはいっても、正直、ピンと来るものではなくて。 数歳年上の、いわゆる「幼馴染」ではあったけど、別に彼を男として意識したこともなかった。 家が決めたことだったし、もし、言われた通りに結婚させられるとしても先の話。 ともかく。 わたしは都会での大学生活を満喫したいと思っていたし、自由恋愛だってしたいと思っていた。 別に「処女で嫁がなきゃいけない」ってわけじゃないはずだもの。 でも、こうなったら。 彼に頼るしかない。 母に呼ばれて奥座敷に行った後から、わたしは家から一歩も出してもらえなくなったのだ。 許婚なら、家にも部屋にも呼ぶことができる。 だから彼を呼び出して、わたしは必死に頼み込んだ。 「一緒に逃げて」と―― 「だって、みんな、頭おかしいよ。訳が分からないことばかり。本気でわたしのこと『借り腹さん』だとかって思ってる」 冗談じゃない。 もう二度と、こんな家に戻るものかと。 そうまくしたてるわたしを、許婚はそっと宥め、 「分かったよ」と応じてくれた。 「今夜、迎えに行くから」と。 約束の頃合いに彼が来た。 雨どいを伝って部屋から抜け出し、許婚のオート三輪に乗り込んだ。 このまま、夜通し走って、とにかく大きな町まで行くはずだった。 でも―― 「ねえ、道が違うよ。どこに行くの?」 車はどんどん脇道にそれていく。 ちらほらとあった街灯すら、皆無になった。 「県道を通って町に行ったところで、どうせすぐに見つかる。裏道を使って逃げよう」 彼は、そんなもっともらしいことを言う。 「でも、山道は暗すぎるからね、ひとまず心当たりに泊まって、明るくなるのを待つのがいい」 そして車は、どこかで停まった。 暗くてよく分からないけれど、そこはちょっとした屋敷のようだった。 ……こんな山奥に? そう怪訝に思うほど、生垣も柵も門も手入れがされている。 その屋敷の中に入って、すべてが分かる。 許婚はグルだった。 彼は私よりも先に、なにもかも、みな知っていたのだ。 「この家」に婿に入るならば、「すべて」をキチンと飲み込んでいなければならない。 つまりはそういうことだった。
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