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わたしには、幼い頃からの許婚がいた。
とはいっても、正直、ピンと来るものではなくて。
数歳年上の、いわゆる「幼馴染」ではあったけど、別に彼を男として意識したこともなかった。
家が決めたことだったし、もし、言われた通りに結婚させられるとしても先の話。
ともかく。
わたしは都会での大学生活を満喫したいと思っていたし、自由恋愛だってしたいと思っていた。
別に「処女で嫁がなきゃいけない」ってわけじゃないはずだもの。
でも、こうなったら。
彼に頼るしかない。
母に呼ばれて奥座敷に行った後から、わたしは家から一歩も出してもらえなくなったのだ。
許婚なら、家にも部屋にも呼ぶことができる。
だから彼を呼び出して、わたしは必死に頼み込んだ。
「一緒に逃げて」と――
「だって、みんな、頭おかしいよ。訳が分からないことばかり。本気でわたしのこと『借り腹さん』だとかって思ってる」
冗談じゃない。
もう二度と、こんな家に戻るものかと。
そうまくしたてるわたしを、許婚はそっと宥め、
「分かったよ」と応じてくれた。
「今夜、迎えに行くから」と。
約束の頃合いに彼が来た。
雨どいを伝って部屋から抜け出し、許婚のオート三輪に乗り込んだ。
このまま、夜通し走って、とにかく大きな町まで行くはずだった。
でも――
「ねえ、道が違うよ。どこに行くの?」
車はどんどん脇道にそれていく。
ちらほらとあった街灯すら、皆無になった。
「県道を通って町に行ったところで、どうせすぐに見つかる。裏道を使って逃げよう」
彼は、そんなもっともらしいことを言う。
「でも、山道は暗すぎるからね、ひとまず心当たりに泊まって、明るくなるのを待つのがいい」
そして車は、どこかで停まった。
暗くてよく分からないけれど、そこはちょっとした屋敷のようだった。
……こんな山奥に?
そう怪訝に思うほど、生垣も柵も門も手入れがされている。
その屋敷の中に入って、すべてが分かる。
許婚はグルだった。
彼は私よりも先に、なにもかも、みな知っていたのだ。
「この家」に婿に入るならば、「すべて」をキチンと飲み込んでいなければならない。
つまりはそういうことだった。
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