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もはや「夫」と「父」しかいなかった。
けれどわたしの身体は、とてもひとりの「モノ」だけで物足りることはない。
ふたりを「同時に」受け入れるのは、最初は難しく手間取ったが、そのうちに上手くいくようになった。
日に何度か、奥座敷にやってきては、ふたりは同時に、わたしを穿って精を吐く。
もちろん「双子さま」とは比べ物にならなかったけれど。
それでも自分ひとりで施す慰めよりは、ずっとマシだった。
ズリズリと、わたしの中で蠢く二つの陰茎に気を遣りながら。
「リュウ、おっぱい吸って、ちゅうちゅうして。イクの、して……シュウ、オメコして、してぇ……」と叫び続ける。
なぜ。
「父」が、わたしにただただ「優しかった」のか。
いまならよく分かる。
いずれはこうやって、存分に犯し尽くす娘だと、知っていたからなのだろう。
おそらくは父は「舅」とともに、こんな風に母を貫いていたはずなのだ。
「借り腹さん」と呼ばれる理由。
それは「双子」が、わたしの「卵」から産まれるわけではないから……なのだろう。
双子のふたりともが必ず、わたしの中に執拗に放出するのは、おそらく、ふたりの種で、次の双子ができるから。
わたしの卵が双子様の精と結びついて孕むわけではなくて――
だから、わたしは「借り腹」なのだ。
「借り腹さん」と「双子さま」は。
ただ「腹」が同じなだけで「兄妹」ではない――
母のことが、今ならよく分かる。
あまりにも。
あまりにも良すぎて。
ほかのことすべてが、もうどうでも良くなってしまったのだと。
「双子さま」との閨が……。
それ以外は、本当にどうでも良かったのだ。
あの快楽となら、何を引き換えにしてもいいほどに。
そしてわたしは、また妊娠した。
今度は多分、娘だろう。
その父親が、「夫」なのか「父」なのかは分かりはしない。
もう、それはどうでもよかった。
産み月が巡るまでは、また前と同じ。
ひたすらに疼く身体を持て余して暮らす。
さすがに、夫も父も、身重のわたしに「アレ」をしてはくれなかったから。
もしかしたら……。
最後にもう一度。
双子さまが来てくれるかもしれない。
「合図」をしに。
今やそれが、わたしの望みの綱だった。
ただ、産み月の到来だけを待ち望みながら。
わたしは、狂ったように股を枕に擦り付け、血がにじむほどに乳首をつねり上げ続けているのだ。
終
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