烏山珠貴について

1/1
前へ
/66ページ
次へ

烏山珠貴について

夏のアスファルトに ゆらゆらと立ち昇る陽炎さながらな 不穏な微睡みを吹き飛ばす勢いで、 安アパートの扉が開いた。 色黒な顔が覗く。 同級生の烏山珠貴(からすやまたまき)だ。 僕の部屋の扉は 鍵がかかっていても、 ちょっとしたコツで 開ける事ができる。 タマキは瞬時にこの不法侵入技を 教えてもいないのに いつの間にか習得していた。 まるでそれを始めから 知っていたかのようにドアを開け、 勝手に入って来る。 全くもって迷惑の極みだ。 「コータ! お前今日、 夏生姫と密会してたんだって? 見かけによらずやるなぁ。 早速聞かせて貰おうじゃないか」 タマキはいつだって情報が早い。 まだ、ヌバタマにしか 話してないのに一体どこから 情報を仕入れてくるのか。 いくら夏生が秘密って 言ったところで、 もう知られているんだから 仕方がない。 「告られたのか? まさかなぁ」 寝起きの僕を ベッドに押し倒しそうな勢いだ。 言葉に詰まる僕を見て なんとなく状況を察したタマキは 身を引き、気不味そうに 切れ長な細い目をそらした。 「お前……振られたのか。 無謀な奴だ」 「ちがっ! そ、相談を受けただけだよ」 「相談ってなんだよ。 学年トップの夏生姫が、 まさか底辺のお前に 進学相談するとも思えないぞ……」 ── 底辺って。自覚はしていても 人から言われるのは堪える。 「なぁ、タマキ。 何も訊かずに教えてくれないか? 僕はこの夏バイトをしようと 思うんだけど出産費用ってさ、 一体いくら位要るもんなんだろう」 「なっ! お前まさか。 いやいやいや。ナイナイナイ。 まぁ、いいや。出産費用か。 3、40万じゃないか? でも入院費や出産費用だけじゃ なくて、出産までの検診や ベビーグッズやら揃えるとなると もっとかかるんだろうな」 腕組みしながらタマキは答えた。 「さすがタマキ。 何でも知ってるなぁ」 取りあえず僕は タマキを褒めておいた。 「伊達に長生きしてないぜ」 ── 長生きって…… 同じ16才だろ。 僕の言葉に 気を良くしたらしいタマキは 出産費用について更に細かく 教えてくれた。 やっぱり持つべきものは友だ。 悪友だけど。 「いやいや。 去年従姉妹の姉ちゃんが 子供産んだばかりなんだ。 色々要り用だってボヤいてたぜ。 なんやかんや言って 色々ひっくるめれば7、80万は かかるんじゃないのか? 至れり尽せりの 豪華産院とかだと特に」 「……マジか。一夏のバイトじゃ 稼げそうもないな」 「まぁ、普通のバイトじゃ 難しいかもな。 でも、全くない訳でもないだろう」 雷鳴はいつの間にか遠退いていた。 おばさんが夕飯を知らせに来ると タマキはチャッカリ ご馳走になって帰った。 その日から連日、 僕とタマキは放課後になると 夏のアルバイト探し会議を開いた。 ガサツなタマキが苦手なのか、 ヌバタマが会議を邪魔する事は 幸いにして一度もなかった。
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!

29人が本棚に入れています
本棚に追加