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一人の女の子がその日、ミュンヘンに足を踏み入れた。幼く、あどけない顔に抱えきれないほどの恐怖と不安を湛えて、喪服に身を包んだ若い母親と共に列車から降り立った。
エリーザベト。ウィーン郊外でひっそり慎ましやかに暮らしていたはずの彼女は、父親を失った時点で多くの庇護も失った。母親―ロスヴィータは夫の家系の一部にひどく付け狙われていて、先月は家に押し入られ警察沙汰になったという。
「ハルシュタットさん、あなたが最後の望みです。どうかよろしくお願いします」
私と妻は息子のガイゼリクを説得してエリーザベトを引き取ることにした。ロスヴィータは夫婦同士で付き合いのある友人だったから、理由に不足はなかった。彼女の何かしらの決意に反対することもできなかった。
「シシィ。またいつか」
シシィと呼ばれたエリーザベトは頷いて手を振った。
ガイゼリクは初め、八歳年下のこの姫君をどう扱ったものか困惑していた。すべての事情を説明してあったから殊更に困っていたのかもしれない。差し迫った危機というものに触れたこともなかったからかもしれない。邪険に扱うこともなかったが、エリーザベトのほうからも、ガイゼリクのほうからも、なにか壁を設けているようだった。それは一年経っても同じで、もうすぐエリーザベトは七歳になろうとしていた。基礎学校ではうまくいっていると言うが、いつも硬い表情をしている。
秋、ロスヴィータからの手紙が不穏なものになってからぱたりと止まった。
私たち夫婦は認識を改めざるを得なかった。これはただ父方の親戚が娘を引き渡せと迫っているのではなく、エリーザベトの血筋、ひいてはロスヴィータの生れに関わるもっと残酷な話だと気が付いた。ロスヴィータがなぜ愛娘の呼び名をあえてシシィとしていたのか、些細なことだが気になっていたことの解決にもなった。
ロスヴィータは死んだ。
信頼のおけるもう一人のオーストリアにいる友人、メルセデスが電話で報せてきた。ロスヴィータは死んだ。いや、死んだであろうことは確かだと。
「どういうことだね」
「遺体がないんだ。隠れ家は荒らされて、ひどい有様だというのに」
手紙にもこれが最後になるかもしれないことは記されていた。”私は決死の覚悟をしています”とエリーザベトを引き取る際にも言われている。今更驚くことではない、が―
「君のところにお嬢さんがいるわけだ。そうなると君、危険だよ。なにしろ細心の注意を払っていたロスヴィータも今回は不意打ちだったのか君への手紙を書こうとしていた。いずれ奴らはたどり着く、逃げたほうがいい」
春には転居を決めた。屋敷は囮にするために残したが、知人も屋敷もないマンハイムへの転居だった。そして、日本に持っている一軒家を整備してもらうよう知人に連絡した。
ガイゼリクは学校を理由にミュンヘン郊外の親戚のもとに行き、エリーザベトだけを連れていくことになった。
私はふと妻に「怖くはないか」と尋ねた。愚問だった。
妻はもとよりこの娘を引き取ると決めたときに決意ができていたという。
夏は迎えられた。まだ慣れない場所での生活は難しかったが、大きな支障ではない。それなりに大きな都市であるし、ほとんど来訪したことがなかった身としては物珍しく見どころもあった。
――今、思えばこれはただの嵐の前の静けさ、恐怖の前の安寧だった。
秋、私たちはミュンヘンの屋敷が物盗りに入られたことを知らされた。荒らされたが幸い盗られたものは少しの金銭だったため、ミュンヘンにいる親戚に後始末を依頼した。しかし、同時に強い不安が生じた。もう『ミュンヘンのハルシュタット家がエリーザベトを引き取っている』という情報がロスヴィータに凶刃を向けた誰かに伝わったのである。マンハイムの仮家もすぐにわかるだろう。私はガイゼリクを置いてもらっている親戚のもとにエリーザベトを連れていくことにし、ガイゼリクにたびたび伝えてきたことを今一度伝えた。
「もう日本の別荘は整備し終わったはずだから、私たちに何かある前に日本に行きなさい」
学校を理由に彼はすぐの出立は嫌がった。
仕方がない、何かあれば絶対に日本に向かうようにと念を押して私はマンハイムへ戻った。だいぶ寒くなってくる頃だった。
子どもたちのいない生活は寂しくもあったが、夫婦の慎ましやかな時間でもあった。仮家も住み心地は十分よい。ああ、あとは嵐が過ぎ去るのを神に祈って待つだけだった――
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