マフラーの上と下

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 おれが営んでいる小さな宿屋には、いろんな人が泊まりにくる。  その中でもおれは旅人というやつが大好きだ。  旅人の話はおもしろい。  誰も行ったことのない大樹のてっぺんまでのぼってみたという話。  その国の風習を知らずに恥をかいたという話。  魔物に襲われて命からがら逃げ延びたという話。  魔法使いが残したと言われる秘宝を手に入れたという話。  どこまでが本当でどこまでが嘘なのかわからないが、見た事も聞いた事もない話を聞けるのはおれにとってよろこびだ。  そのために宿屋を営んでいると言っても過言ではないくらいだ。  だからというわけではないが、おれは旅人の話が聞きたくて「旅の話割引」なんてものを作ってしまった。  何か話を聞かせてくれたら、その話のおもしろさに応じていくらか宿代を割り引きするというサービスだ。いくら割り引くかはおれの独断と偏見なのだが、これが意外と好評だったりする。特に一人旅をしている者は話し相手に飢えているからか、利用する客が多い。そういう旅人からしたら、話し相手になってくれるうえに宿代まで割り引いてくれるという一石二鳥なサービスなのかもしれない。  そう思ってくれるのならおれもありがたい。  割り引きのためだけに嫌々されるよりも話が弾むというものだ。  さて、今度はどんな話が聞けるだろうか。  そう思いながら宿屋のカウンターに立っていると新しい客がドアを開けて入ってきた。  身なりからしてどうやら旅人のようだが、これが不思議な客だった。  性別がよくわからないのだ。中性的とは少し違う気がする。男にも女にも見えるというよりも、男でも女でもあるという感じだ。  それに大して寒くもないのにマフラーをしていた。服装は厚着ではないから寒がりというわけではなさそうだ。だとするとマフラーはファッションで巻いているのだろうか。  いや、別にマフラーくらいは不思議でもなんでもないのかもしれない。彼(彼女?)の雰囲気が不思議だったから、おれが変に注目してしまっただけなのかもしれない。  とにかくその人はおれの前に現れて言った。 「泊まりたいのですが、空いていますか?」  落ち着いたその声は男性のものに聞こえた。でもやはり男だと決めつけることはできない。よく見ると、体つきは女のように思えた。 「ええ、空いてますよ」  おれは空いている部屋や料金について説明した。  それからもちろん、「旅の話割引」についても。 「旅の話割引?」 「はい。何か話をしていただければ、話の内容に応じて宿代を割り引きするというサービスです。わたしは旅の話を聞くのが好きでしてね。もしあなたが旅人であるのなら、ひとつわたしに話を聞かせてくれませんか?」 「旅の話か」  その人は少し考えてから言った。 「旅の途中で聞いた他人の話でもいいか? 旅とは少し違うかもしれないが……、それなら少しおもしろいのがある」 「ほう。それで構いませんよ」  おれは快諾した。  話は夜、その人の部屋でしてもらうことになった。 「では今夜、お部屋にお邪魔させていただきます。お話、楽しみにしていますね」  夜になっておれはその人の部屋に行った。 「どうぞ」  と言われて中に入ると、その人は部屋の中でもマフラーをしていた。  やはりマフラーには何かあるのかもしれないと、おれはなんとなく思った。 「それでは、話を聞かせてください」 「ああ」  その人はゆっくりと話し始めた。  これは辺境にある小さな村で聞いた話だ。  その村には父親と息子のふたりで住んでいる家があった。  その息子というのが生まれつき体が弱くてな、一日の大半をベッドで過ごすようなやつだった。  父親はそんな息子の体をどうにか健康にしてあげたくて、いろんな療法を調べては息子に試していたそうだ。どこぞの薬草がいいと聞けばそれを手に入れにどこまでも行ったし、健康になるおまじないがあると知ればそれを毎日欠かさずにやった。怪しげな療法もたくさんやって、逆に息子の体を悪くすることもあった。おそらくだがその父親は詐欺の被害にもあっていたんじゃないかな。  その父親はたしかに子ども思いで、子どものためならなんでもするような人だった。だが、はっきり言って情報に振り回される愚かな人だったらしい。熱意だけではどうにもならないというわけだな。  息子はちっともよくならなかった。  ならないまま、一日の大半をベッドで過ごしながら、12歳になった。  そのくらいのころだ。  父親がある日とつぜん、奴隷の少女を買ってきた。  奴隷を買うほど裕福ではないのにだ。  息子がなぜ買ってきたのかと問い質すと父親は「かわいそうだったから助けてしまった」と答えたそうだ。  どうやらその父親はお人よしでもあったようだな。もしかしたら事情は違えど不遇な境遇にある子どもを放っておけなかったのかもしれない。  だから息子は父親の行いを責める気になれなかった。  むしろ息子にとっては話し相手ができてうれしかったそうだ。  ふだん父親は仕事で家にいないし、療法を探しに遠くまで旅をすることもあったから、息子は家にひとりっきりでいることが多かった。その寂しさを埋めてくれたのが奴隷の少女だった。  息子とその少女は年齢も近くて、背丈も同じくらいだった。ふたりともやせ細っていたから体型も似ていたそうだ。  ふたりはすぐに仲良くなった。  少女は読み書きができなかったから息子が教えてあげた。その息子はベッドでやることがなかったから本をよく読んだし、勉強もある程度できたんだ。  そうそう、編み物なんかも教えてあげたらしい。  男が編み物だなんて意外だと思うだろうが、さっきも言った通り息子はベッドで寝ていることしかできなかったから暇を持て余していたんだ。それで息子は編み物を始めた。息子の腕はたしかで、編んだものはお店に置いてもらっていたそうだ。ちゃんと売れて金にもなっていた。  そんなわけだから、編み物に関しちゃ息子は人に教えられるレベルだったんだ。それで少女にも編み物を教えてやったってわけだ。  少女は手先が器用で、息子が教えたらどんどん上達したらしい。彼女も自分の手で何かを作れるのがうれしかったようだ。  少女はすぐに編み物が好きになった。  気づいたころには息子と少女、ふたりで一緒に編み物をするのが習慣になっていたそうだ。  息子と少女は編み物をしながらいろんな話をした。  そうしているうちにふたりは恋人のようになっていった。  ふたりはまだガキだったけど「いつか一緒になろうね」なんて浮ついたことも言っていたそうだよ。そんなことを言うくらいだから相思相愛だったんだろうね。  いつか一緒になろうね。  だがその日は意外にも早く訪れた。  別の仕方で、とつぜん訪れた。  ほのめかしとか、伏線とか、そう言ったものは一切なしにだ。  人生は物語だと言うことがあるが、おれは違うと思うね。物語のような人生もあるのだろうが、あるいはそういう瞬間もあるのだろうが、人生のすべてが物語になるわけじゃない。もしも人生をそのまま物語にしたら、たいていはつまらなくて聞くに堪えないだろうよ。  人生そのものは物語じゃない。  あるとしたら話は逆で、物語になるような人生を物語として語っているだけだ。  話がそれたな。  とにかくそれは突拍子もなさ過ぎて、物語として聞かせたらつまらないというか、リアリティがないからボツになるような話だった。  それをそのまま語ってしまうのだから、おれは語り手としては失格かもしれないがな。  それはある朝のことだったそうだ。  ふだんなら眠っている時間だったが、早朝に息子はふと目を覚ました。そして異様な空気を感じ取った。いや、異様な空気を感じたからこそ目を覚ましたのかもしれない。とにかく何かが変だと思って、息子はベッドから起き部屋を出たんだそうだ。  そして、廊下を歩いていくと、少女の部屋のドアが開いているのに気がついた。  不思議に思って息子は部屋に入った。  すると少女の部屋は血の海になっていた。その中に父親が立っていた。父親も血まみれで、手には斧を持っていた。そしてベッドの上には、首のない死体があった。首から上は体から離れて、床の上に転がっていた。  父親が、少女を殺していた。  ベッドで眠っていた少女の首を、その斧ではねたんだ。  それから息子がいることに気がついた父親は振り返って言った。 「おや、まだ起きちゃだめじゃないか」  そしてあまりの光景に動けないでいる息子の腹を殴った。思いっきり、気絶するんじゃないかというくらいに。  それから息子を居間に運んでテーブルに寝かせると、息子の体を縄で縛り付けた。テーブルごとぐるぐるに巻いて息子の体を固定したんだ。  何をするためかは、ここまできたらわかるよね。  動けなくなった息子を父親は見下ろした。  そして斧を振り上げて、言った。 「大丈夫だ。いま楽にしてあげるからね」  斧が振り下ろされて、息子の意識は首と一緒に飛んだ。  恐ろしい話だろう?  わけのわからない話だろう?  だが話はここで終わらない。  そのあと、息子は目を覚ました。  首を切られたはずなのに目を覚ました。  息子は自分の部屋のベッドに横たわっていた。  そして、そのかたわらには父親がいた。 「おお、目が覚めたか!」と父親は言った。  息子は最初、すべてが夢だったのかと思ったそうだ。走馬灯のように幻覚でも見てしまったのかと、そう思ったそうだ。  だが違った。 「成功だ!」と父親は叫んだ。  叫び、狂喜した。 「いったい何が成功したの?」  そう息子は訊ねると、父親はこう答えたんだ。 「おまえの体はこれで大丈夫だ。だって、健康な体と取り替えたのだからね」  そのとき息子は自分の体の異変に気がついた。  胸が少し膨らんでいた。  男性にあるべきものがなかった。  そう、息子の体は女性になっていた。  首から下だけ、女性だった。  ことの真相を話すとこうだ。  父親は、息子と少女の首を切り落として、息子の頭と少女の体をつなぎ合わせたんだ。息子の体を、少女の健康な体と取り替えたんだ。  それは禁忌の魔法のひとつだった。首を切断し、他の人の健康な体と取り替えることで永遠の命を手に入れる魔法。  父親がそれをどこで知り、どうやって習得したのかはわからないが、とにかく父親はそれを実行した。奴隷の少女は、最初からそのためだけに買ったものだった。  父親はとてもやさしかった。  だが、そのやさしさの範囲には息子しかいなかった。  まさに、息子のためならなんだってする親だった。  こうして息子と少女は「一緒になった」というわけだ。  ちなみにだけど、そのあと怒り狂った息子は父親を殺してしまったそうだ。  自分と少女の首を切り落としたその斧でね。  そのあとその息子がどうなったのかは誰にもわからない。少なくとも村からは消えたという話だ。  もしかしたら今頃、どこかを旅しているのかもしれないな。  健康になった、その体で。 「話はこれでおしまいだ」とその人は言った。「どうかな? 割り引きに値する話だったかな?」 「ええ、もちろん」とおれは答えた。「しかしにわかには信じられない話ですな。まさか首を切断して体を交換してしまうなんて」 「おれも最初は信じられなかったよ。あまりに衝撃的だったからな」 「その人が生きているとしたら、頭は男で体は女というわけですか」 「そういうことになるのかね」 「いったいどんな気持ちなのでしょうね、そんな体で生きるのは」 「さあな。おれにはよくわからんよ」  そう言ってその人は、自分の首に巻かれたマフラーの具合をちょっと直してから、微笑んだ。  人のことを試すような微笑みだった。 「いやはや、貴重なお話をありがとうございます」おれはしばらく間を置いてから言った。「それにしても、この世界には不思議なことがあるものですなあ」 「ああ」  その人は感慨深そうにつぶやいた。 「だから旅はおもしろい」    それから数日が過ぎてその人はおれの宿をあとにし、また別の場所へと旅立っていった。  出会いと、別れだ。  宿屋を営んでいる以上おれは旅に出ることはできない。だから旅のおもしろさはよくわからないが、少なくとも旅人の話はおもしろい。  今度はどんな話が聞けるだろうか。  と、そこにまた新しいお客さんだ。 「泊まりたいんだが、空いてる?」 「ええ、空いていますよ」  おれは空いている部屋や料金について説明した。  それからもちろん、「旅の話割引」についても。 「旅の話か」  その人は少し考えてから言った。 「そういやこんな話があるぜ。恋人からもらったマフラーを巻いて旅をしている人の話だ。そいつがな、どんなときでもマフラーを外さないんだとよ。なぜだかわかるか?」 「恋人にもらった大切なマフラーだから、ではないのですか?」  おれがそう答えると、その人はうれしそうににやりと笑った。 「それもあるがな、でもそれだけじゃねえんだ。どうだ? この話で割り引きになりそうか?」 「ええ、もちろん」 「じゃあこの話をするぜ」  おれはその人の話を聞くことになった。  どんな話が聞けるのか、いまから楽しみだ。
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