ちいさな幸あれ

1/1
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

ちいさな幸あれ

「ねぇねぇ、今日めっちゃ寒くなーい?」 「うん…。もう1月だもんね」 「ウチ暖房壊れてるんだよねー、早く修理してもらわないとなぁ」 正月明け…まだ三学期まであと少しというところで、私、河崎スミカは、クラスメイトの奥田若葉を家に迎え入れてふたりで遊んでいた。 もうすぐ三学期かぁ。私達は中二なんだ、もう中学校生活はとっくに半分を過ぎてるなぁ。 「ねえ、スミカ?」 「なぁに、若葉」 「聞いて欲しいことがあるんだけどさー」 若葉はお気に入りの漫画から顔を上げた。茶色の混じったポニーテールに、黒目がちの瞳。色白で、若葉色のニットが映える美少女…若葉は、私にとっての憧れでもあった。なんせ、私は至って普通の女子。肩の上でバッサリ切った黒髪に、それほど大きくもない瞳。大して色白でもないしなぁ。 「…私さ、部活の先輩に告白されたんだー」 「ええっ、そうなの!?」 私は仰天した。若葉は美少女なだけあってかなりモテるけど、男子達からしたら高嶺の花っていうのかな…迂闊には手を出せない領域にいるっていう感じだった。それに、若葉の彼氏の理想も高い。 「ううむ、若葉に告白するとはいい度胸だね…なんか悪役のセリフみたいになっちゃってるけど…。それで、若葉はオッケーしたの?」 「それが…私の好みじゃなかったんだよね」 「ええ…やっぱ若葉は理想高いな」 「うん、イケメンでスポーツ万能で足が速くて、その上ユーモアセンスもあって親切で優しい人!頭脳明晰だったらさらにいいかな」 「完璧主義だね…」 他人様の趣味を勝手に侮辱するのもなんなので、私は黙っていたが、それでもこの子…あまりにもプライドが高すぎではないだろうか。これでは一生独身だぞ。少しは妥協が必要だろう。 「へへーん、完璧主義で何が悪いっ!じゃあ、スミカはなんか恋バナないのー?」 「私ぃ?特にないよ」 「ふぅん…なーんだ」 若葉はつまんなさそうに口を尖らせた。私は、父の仕事の都合で国内のあちこちを転々としてきたんだ。そう簡単に恋などしている暇なんてない。両想いになれたって、どうせ遠距離になってしまう。私としては面倒だった。例えそれが、甘く儚い、淡い恋心だったとしても。 邪魔になる感情は捨てるしかないんだ。仲の良かった、ソウルメイトのような親友とも今や住んでいる場所の差は酷いものだし、一瞬惚れかけた男の子とも1年も経たぬうちにさよなら。親に振り回され、正直なところ「もう嫌だ…」って感じで疲れ切っていた。 「あっ、そういえばあたし、マフラー買いに行くんだった…スミカもついてくる?」 「え、マフラー?」 「うん」 若葉は、今年は暖冬なものの流石に1月になり冷えが厳しくなってきたため、マフラーが欲しいとの事だった。去年まで使っていたものはなくしてしまったらしい。 「じゃあ、どうせ暇だし私もついて行くね」 「ありがとー。じゃあ行くとしますかっ」 私はパーカーやジャケットで防寒対策を徹底し、最後に自分で手編みしたマフラーを首に巻いた。実は私、手芸が大好きなんだ。あちこちを転々とする中でも、この趣味は欠かしたことがない。 「おっ、スミカ、そのマフラー手作り?」 「あ、うん。そうだよ」 「へー、スミカって家庭科系得意だもんね!いいお嫁さんになりそー」 「お嫁さんって…いつの話になるのやら」 「あははっ。そうだ、せっかくならスミカにマフラー作ってもらおうかな!?」 「えっ、作らせてもらえるの?」 私は、顔を小さい子のようにキラキラと輝かせた。手芸は大好きだから、大歓迎だ。 「うん!いいの?」 「もちろんだよ!じゃあ、お店で売ってるやつみたいにとびきり綺麗に作っちゃうよ!」 「あ…いや、そんなんじゃなくて…」 若干気まずそうに、若葉がもごもご言った。 「なんていうのかなぁ、綺麗すぎないけど雑な手編みではない、みたいな…中間って感じかな。ほら、そこまで気合い入れずにいつも通り作ってよ」 「え?あぁ、わかった…」 少し若葉の言葉に違和感を感じたものの、私は特に気にせずに尋ねた。 「んじゃあ、何色のマフラーがいい?」 「えっと…いつも若葉にちなんで緑だから、青がいいかな。綺麗で控えめな青」 「オッケー、青だね。じゃあ作っちゃう」 「ありがとー」 若葉はニッコリ笑みを浮かべると、「じゃ」と手を振った。 「どっちにしろ、あたしは家に帰るね。バイバーイ」 「はーい。マフラー作っとくね」 「ホント感謝するよ」 ★ ★ ★ 「はぁーっ、ただいま」 「おかえりお姉ちゃん」 あたし、奥田若葉は友達の河崎スミカにマフラーの制作依頼をしてきて帰路につき、たった今家に帰ってきた。 キッチンのほうから、いい匂いがふんわり漂ってくる。今夜はシチューかな。 「ふぅ、寒かった…家も寒いんだけどね…高校生になったらバイトしなきゃ」 「だな。このままじゃマジで厳しい」 真剣な顔付きでシチューの入った鍋と格闘しているのは、あたしの一つ下の弟、中一の晴真だ。家事なんて何一つできない不器用な私にとって、手先が器用で真面目な晴真は救いなんだ。ウチは母子家庭で、今は母と離婚したダメ父のおかげで多額の借金を抱えている。あたし達の親権をとったお母さんは必死に働いているけど、そのストレスからか家事なんてそっちのけで酒、酒、酒。アルコールへの出費が酷いのでさらに借金は返しづらくなっている。酒癖が悪いお母さんは、酒を飲めば鬼と化す…仕事の愚痴から始まり、私あたし達子供の悪口をペラペラ並べ立てた後、情緒不安定になりヒステリックに怒鳴ったり喚いたりするんだ。こう見えてあたしも苦労してる…彼氏なんて作ってる暇ないんだ。だから、理想が高いことにしてる。こんな屈辱的な生活を送っていることは、誰にも知られたくないから。だから、数少ない所持金で激安の服を高級ブランドもののようにお洒落に着こなしたりと、普通の女の子のように振る舞っているんだ。髪も、ポニーテールにしているだけだけど地毛が茶色っぽくくせっ毛なので、カールを巻いているように見えて可愛らしいっていつかスミカが言ってた。そこのところは得だったから嬉しいんだけどね。 「あーあ…でも、高校に行くどころか中卒で働き出した方が金銭的にはいいのかな…」 「うーん、やっぱり高卒くらいはしとかないと稼げないんじゃないかな」 「だろうね。でも、水商売をやることは免れないと思うよ」 「そっか…」 晴真はしょんぼりしたように俯いたが、再びハッとしたようにシチューの相手をする。ああ、あたしは洗濯物を少し干すくらいしかできないのに、この子には苦労をさせている。どうにかして、この子に輝く幸のある人生を送って欲しいのに。 「…お姉ちゃん、さっさと上着脱いで手洗ってきなよ。食器くらい並べられるだろ」 「あぁ、ごめんね。わかった」 晴真は鍋の中のシチューをよくかき混ぜながら、大きくため息をついた。クラスメイトの話し声が脳内に甦る。 「おい、見ろよ。晴真、今日もみすぼらしい格好だぜ」 「へへへ、ホントだなっ。みすぼらしいって言葉は、晴真のためにあるんじゃねーの?」 「毎日臭い制服で、サイズはちっちゃいしボロボロ。不潔でしかねーよ、みすぼらしい」 「おーい!晴真ー!みすぼらしいぞー!」 「ちょ、本人に言うとかウケる」 「あっはっは、もっと言ってやろうぜ!みすぼらしい!みすぼらしい!キモくてウザイは・る・ま!」 自身をいじめているクラスメイトの男子の声を聞いて、女子達もクスクス笑っている。 こんなのは慣れっこだけど、それでも冬は厳しいものがある。寒いんだ。夏は半袖一枚でなんとかなるけど、サイズの小さい服を何枚も着るのには無理がある。ちょうど成長期に入る頃だってのに。つまり厚着が出来ず寒いのだ。寒さに震える晴真を、誰も助けようとなんてしない…みすぼらしい晴真と一緒にいれば、みすぼらしいのだ。 「ったく…アイツら、後々タダで済むと思うなよ…」 それでも、成長期とはいえあくまでそれは思春期の男子の定めであって、晴真はこの環境でロクに栄養を摂れない。細く背も低めで非力な晴真は、クラスメイトに喧嘩を仕掛けてもボコボコにされるだけだ。結果は目に見えている。嫌だ、嫌だ、嫌だ。俺は普通と違うんだ。普通になりたい。普通になりたいんだ。 「…晴真」 「あ…お姉ちゃん」 あたしは…奥田若葉は、上着を脱ぎ手を洗ってくると、キッチンへと戻ってきた。 「その…いつも、ごめん。必ず、恩返しするからね。もう決まってるから」 「決まってる…?そう、なんだ。ありがとう」 「お礼を言うのはあたしの方だよ。いつもありがと」 そのまま、いつもと変わらぬ夜が過ぎた。 ★ ★ ★ 数週間が過ぎた。私、河崎スミカは、若葉に渡す青いマフラーを完成させて、それを片手に若葉の家へと向かっていた。マフラーを渡すためだ。若葉の家は、安いボロアパート。お洒落な若葉にしては以外だな。 「あのー…スミカですー。若葉ー」 インターホンを鳴らしてドアの前で待っていると、物凄い形相の中年の女性が中から姿を現した。 「なによ、あんた…うちの娘に何か用な訳…?せっかくの休日に、アタシの至福のアルコールタイムを邪魔してくれちゃって!今すぐ帰りなさい!」 「……えっ」 私は絶句した。髪はボサボサでパジャマのまま、目の下にクマを作った「みすぼらしい」女。これが若葉の母なの?しかもかなり酒臭い。 「あの…すみません。でも私、このマフラーを渡しに来たのに…」 「なによ、そのマフラー。手編み?くれる訳?」 「あ…はい、若葉に渡そうと…」 「へぇ、プレゼントねぇ。売れば金になるかしら…酒代が足りなくなるところだったんだけど、まぁちょっとは足しになるわね」 「え……」 若葉の母は、私からマフラーを奪うとニヤリと人の悪い不気味な笑みを浮かべた。 「かっ、返してください!」 「ククク…じゃあね」 「待ってよ!!」 「え…」 突然の叫び声に、若葉の母も私も心臓が飛び跳ねた。そこに居たのは……若葉だった。 ★ ★ ★ ……嘘でしょ。 晴真に頼まれた食材の買い物帰りに、あたし、奥田若葉は驚愕して体の震えが止まらなくなった。自宅のアパートの真ん前だ。そう…スミカが、母と対面していたのだ。しかも、酒を飲んだばかりの醜い母と。 「嘘……なんとかして言い訳しなきゃ……」 なんとか震えを抑えて、あたしは2人の元へと駆け寄った。そして、今にもマフラーを持って家の中に引っ込みそうな母に向かって「待ってよ!!」と叫んでやる。 「な……何なのよ、若葉。あんたは黙ってなさいよ」 「このマフラーは、あたしがスミカに依頼して作ってもらった大切なものなの!アンタにかなんか奪われるもんか!」 あたしは母に掴みかかると、綺麗な編み目の青いマフラーを奪い返した。 「な…なんてこと…するのよ…」 「もう、お母さんは家にいて出てこないで!そんなことしてたら、お酒が美味しくなくなるよ!」 「そ……そうだったわ……さ、酒……」 母は、一瞬にして家の中へと引っ込んでいった。とりあえず、あたしはほっと一息つく。 問題は、怯えているスミカをどうするか、だ。 「あ…あの、スミカ…」 「……ごめん。ちょっと、他人が首突っ込むことでもないよね…」 「う…うん。こちらこそごめん…」 「マフラーはあげるよ。大切に使ってね、じゃあバイバイ」 「あ、ありがと…」 逃げるような口調だった。当然だろう。嗚呼、可愛らしい美少女のイメージで成り立っていたあたしは、きっとこれで全てが崩れていくだろう。どうせこうなることはわかっていたけど、それでも覚悟して延命していたのに。全部、母のせいで。 「あー…もう、何も考えられないや…」 しばらくそうやってボーっとしていたが、我に返って家に入る。 実はこのマフラー、晴真に渡すつもりだったのだ。それも、あたしが作ったのだと嘘をついて。だから、綺麗すぎる見た目に仕上げないようにスミカに頼んでおいた。店で買ったのではないかと疑われては困るから…。本来は店で買って、少しでも晴真に恩返しをしようと思っていたけど、お金の節約になると思い、スミカを…利用したのだ。 でも、流石にもう嘘をつく気分にもなれない。あたしは、マフラーとお店で買ってきた無地で分厚く、真冬でも耐えられる激安上着を晴真にプレゼントした。サイズは大きめで、成長期の晴真には嬉しい代物だ。 「……お姉ちゃん、これ」 「…何も言わずに受け取って。お願い」 「……うん、ありがと」 かすかに晴真は笑った。ちょっぴり笑ったんだ。こんな表情を見たのはいつぶりだろうか。こんなにも、あたしは晴真に苦労させてたんだな…。 「俺さ、青好きだし。ありがと」 「うん…晴真のために、色選んだから」 スミカを利用したことには変わりないけど、それでも晴真に喜んでもらえたのが素直に嬉しかった。罪なヤツだな、あたし。 ★ ★ ★ 「若葉のお母さんが…あんな人だったなんて…」 私、河崎スミカは、そんなことをつぶやきながら自宅へと歩いていた。 完璧美少女だと思っていて、ずっと憧れていた若葉が、あんな母を持っていただなんて。見たところアル中だろうか?あれではとてもじゃないが裕福ではないだろう、そんな裏の一面をスミカは抱えていたのだ。親のせいであちこちを転々としてきて、疲れ果てた私とも通じるところがあるかもしれない。でも、私の親はあくまで仕事のために色んな所に行っているから、仕事のせいであって決して身勝手ではない。それで疲れただなんて、若葉に話したら馬鹿にされるだろうな。そんなんで弱音を吐くな、と。 「あーっ、もう寝るかー…」 こうなったらヤケ食いならぬヤケ寝だ。私はベッドに寝転がると目を閉じた。 次の日。学校がある日だ。支度を済ませて家を出て、学校に着くと私の作ったマフラーを巻いている男子がいた。 「ん…?誰、あの人…」 多分、一年生だろう。若葉とよく似た茶髪に、整った顔立ちの割にはサイズが小さくボロボロの服を着ている。 「もしかして…若葉の弟さん!?弟いたんだ!?」 危うく、若葉が恋人相手に「あたしの手作りだよ」とか嘘をついて渡したのかと思った。まぁ実際恋人は居ないのだろうし、若葉はそんなことしないだろう。危ない危ない。 「あのー、そこの若葉の弟さーん…」 声をかけようとした瞬間、若葉の弟のクラスメイトと思われる男子達が若葉の弟の元に歩み寄った。 「おーい、晴真ぁ」 「今日も制服はみすぼらしいけど、気取ったマフラーしてやがるじゃねぇか。お前ごときが何様なんだよ」 「へっ、どーせ俺らに馬鹿にされんのが嫌だったんだろ。調子乗りやがって」 これにはビックリした。なんということだ、この若葉の弟…晴真くんは、同級生にいじめられているんだ。 ここは先輩らしく止めに入ろうとすると、晴真くんはハッキリ言ってやったんだ。 「…これは、俺がお姉ちゃんからもらったやつなんだ」 「お姉ちゃん?シスコンかよ!」 「ギャハハ、それなぁ」 「うるさい」 いくらみすぼらしくても、どれだけ馬鹿にされても。 「お前らにはわかんねーだろうな。だって、お前らにはウチのお姉ちゃんみたいなきょうだいがいねーんだから」 「…なんだよ」 まぁいいやって、どうにでもなるか、ってそう思える。 それが、若葉と晴真くんの、特殊な姉弟仲なんだろうな。 私にはわかる。姉弟にとってしょうもない事情で疲れ切っていた私だけど、それでもわかってしまう。 「ウチはすっげぇ貧しくて、母さんはクズのアル中で、お姉ちゃんなんか家事も何もできない能無しだけどさ。でも、今は別にそれでいいんだよ。お姉ちゃん、何かしら俺の心配してくれるし…お前らにはない、特別な家庭環境ってわけだよ」 自分の考えを貫き通す晴真くんの姿に、そのクラスメイト達は少しばかり気まずそうに見える。 「もう、なんでもいいじゃん。普通じゃなくたってさ、俺、正直どうでもよくなってきたから。お前らには付き合ってらーんない」 そう吐き捨てると、晴真くんはスタスタと歩いていってしまった。 あぁ、なんだかスカッとしたなぁ。私の作ったマフラーは、晴真くんが前を向くのに少しは貢献したのかな?まあ、このことは本人には内緒だね。 でも、若葉にくらいは伝えてあげなくちゃ。私は、この姉弟のことなんてまだほぼ知らないけど、これから知っていこうかな。 親の都合で、またこの地を去るまで。 おわり
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!