*やんちゃな子犬*

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*やんちゃな子犬*

音楽室の隅にあるアップライトピアノ。ピアノの軽やかな曲が聞こえてくる。 「おーい。あやー。あーやー。あ、やっぱりここにいた」 少し茶色い髪ではっきりとした縁のメガネをした青年が近づく。 「水樹、大きな声で呼ぶな」 鍵盤から細く長い指を離し切れ長の目で相手を軽くにらむ。 「何弾いていたんだ?」 眼鏡のつるをいじりながら青年が聞いてきた。 「ショパン」 視線を向けることなく静かに答えた。 「堅苦しー。あやさあ、軽音とかにも駆り出されているだろ?もっと違うの弾けよ」 あきれた顔で文は鍵盤に指を滑らせていく。 「あ、これ知ってる。紅白で聞いたわ」 「当たり前だろう?流行った曲なんだから。あとボカロはコード進行で進めていくんだ」 「へえ、すげえな。全然わからねえ。文は絶対音感とかあんの?」 「それは必ず聞かれる。音楽やっている奴の全てが持っているわけではないし、すごく便利なものでもない」 「じゃあピアノは、ガチの趣味?」 「いやコンクールには出ている」 「え?マジで初耳なんだけど」 「誰にも言っていないからな」 「どうして?」 「水樹さあ、ここが音大だと思うか?趣味では少し続けるかもしれないけれど、ピアノでやっていくつもりはない。コンクールで日本一になったこともないしな。きちんと企業にご就職さ」 「ふーん。もったいないな。なあさっきの曲もう一回弾いてみてよ」 「まあ、おまえにぴったりだしな」 「なんでだよ」 「子犬のワルツっていうんだ」 文はふっと口角を上げて答えた。 「なんかバカにしてねえ?」 「意外に難しいんだよこれは」 軽やかに文の鍵盤が流れている時、水樹の口が文の首に近づく。 「うわああ。何するんだ!」 文の首すじには赤い痕がついていた。 「大丈夫。上までボタン閉めておかなきゃわからないよ。あとさらさら血の奴だとキスマーク消えるの早いらしいぜ?ドロドロ血だと遅いらしいから野菜食えよ?」 「水樹!理由になっていない」 「あと二年は文のピアノ色々聞けそうだよな。じゃあなー。練習頑張れ」 全く悪びれない笑顔で水樹は音楽室をあとにしていった。 『何のつもりだ。悪ふざけにしては悪質だ。こんなところに痕をつけるのもおまえにとっての遊びなのか?ドロドロ血でいいさ。少しでもお前のあとが残っているのならな』 そう思い文は鍵盤を前にして静かに痕を指でなぞり静かに子犬のワルツを奏で始めた。
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