第3章 ambivalence

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変えられていく。 その手が変えていく。 皇 陽里は逃げる様に促した事に気付いていない訳がない。今がどんなに危険な状況かも、分かっているはず。 それでいて、嶺山(ひじり)に対抗してくるなんて、愚かとしか言えない。 その手をとる訳が、ない。 心中するくらいに浅はかな行為だ。 それなのに、胸の奥がじんじんと疼いた。 皇 陽里の印象は荒ぶった怒りからは縁遠い、愛想笑いを貼り付けた淋しい人間(ひと)。 見た目も頭脳も人並み外れ、羨望を集めながらも、浮ついた関係で欲求を満たす様な男。 嫌いな種類の人間だと思った。 互いの時間が交わるはずもなく、通り過ぎ忘れで行くだけの存在だと。 だけれど、触れ合って知ってしまった。 その手がどんなに温かいか。 どんなに優しく触れてくるか。 心を撫ぜる様に、気遣いながら辿々しい。 無遠慮で不躾な態度からはかけ離れた辿々しさに、意表を突かれたりもした。 凡そ、人の生き血を啜る化け物と知りながら向けられる優しさではない。 それはまるで愛しげに我が子に触れる手の平に似ている。  ……………………気の迷い? その手が差し出され、静かな声が甘く誘い、気が付いたら掴む筈のないその手を、掴んでいた。 誘惑(テンプテーション)をかけられたら、こんな感じなのかと考えてしまう程に、その時その手が魅力的に見えた。 これが最後のチャンスだろう。 今掴まなければ、きっともう掴む事の出来ないもの。 陽里の細く長い指を握り締めると、身体を支える様に抱きすくめられていた。 自分でも驚く程に、安堵感が押し寄せる。 「不味いけど、オレの血で我慢して」 陽里の優しい声に吐息が混じり、震えている様に聞こえた。 「…………………ほんとバカ」 何を恐れ、何を拒んでいたのか、自分の中の焦りが遠ざけていたものが見えた気がした。 汗ばんだ陽里の背に手を回し、胸板に押し付けた耳元にリズムの早い心音を聞く。 脈々と血を運ぶ命の音。 本能を掻き立て、衝動を激しく揺さぶるその温かい血の流れを意識するのは嫌いだったはずが、不思議と気持ちを落ち着けていく。 そんな自分の変化を知るのが、怖かった。
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