第3章 ambivalence

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久しぶりにすっきりと目が覚めた。 霞がかっていた頭の中が晴れ、身体のあちこちにある不快感がない。 そうだ…………、昨日は。 すぐに鮮明に記憶が巡り、史花はそっと隣を見やった。 寝息を立てる陽里の横顔が手を伸ばすと届く距離にある。人一人挟んでいるかの様な微妙とも感じられる離れ具合いに、史花は複雑な気持ちになった。 身体を起こし、ベットに手をついて近づくと史花は陽里の寝顔を見下ろした。 首筋の噛み跡は生々しく、加減せずに喰いついたせいで赤く腫れ上がっている。枕を抱き込む様にうつ伏せで眠る横顔は蒼白だ。 肩口から背中にかけての筋肉は細身の割に固く締まり、瑞々しい色香を浮き立たせている。 史花は躊躇いがちにその痛々しい噛み跡へ指先を当てていた。 「…………変な人」 噛まれながらも抱き締めてきた。 好きなだけ吸え、と言うかの様に完全に受け入れられた感覚を覚えている。 極度の飢えと安堵に虚な頭の中で妙に何かを覚悟していた。 だから、皇 陽里が欲求に任せ性欲を満たそうとすれば、受け入れていたであろうに。 「姫さんの指」 目蓋を閉じたままの陽里の唇が動き、史花は息を呑んだ。吐息も浅い、眠っていると思い込んでいた。 陽里は史花の手を掴むと噛み跡に押し付けてきた。 「…………冷たくて気持ちいい」 陽里の手は史花にも分かるくらいに冷たい。 かなり重度の貧血を起こしている。 それなのに、陽里は明るい陽射しを受け止める様に穏やかに微笑んだ。それが幸せそうに見えて、史花は言葉を失くしていた。 噛み跡に触れている指先一つ動かせない。 弱く脈打つ血管や腫れあがった噛み跡の熱も感じる。 ずっと触れていたいと思ってしまう。 眩しい陽射しの様な微笑みを眺めていたいと思ってしまう自分に戸惑っていた。 背負った宿命が闇ならば、光はどこにあるのだろう。 ふと過ぎる、期待と言う名の疑問を抱いては、深く深く胸の奥に隠してきた。 光が欲しいと願う自分が邪魔だった。 期待や願いは、叶わなかった時に心を弱くする。そんな(もの)はいらない。 いらない、はずだった。
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