第4章 口付けの余波

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面倒臭い、それに尽きる存在だった。 理解不能で不躾で、苦手で嫌いな人種。 皇 陽里は口を開けばうざくてたまらない。 厄介なだけだった。 それなのに、厄介なだけのその手を選んでいた。二者一択だったからではない。どちらがマシとか、そんな基準でもない。 その時、その手をとらないと、その優しさにもう触れられないと思った。 厄介で不躾で真っ直ぐな優しさに。 『失いたくなくて…………』 父の声が掠める。 妻を恋しがり『そうせずにはいられなかった』と嘆きながら弱る父の姿を思い出したくなくて忘れていた一言だ。 失いたくない。 有りとあらゆる物を失くし、娘を残して死んでいくと言うのに、何を言っているのか当時は分からなかった。 分からなくて理解できずに、父に苛立ちさえ覚えた。  …………こう言う気持ち(こと)か。 縋る様に抱え込んでくる陽里の体温に堪らなく満たされる。 「姫奈史花がいい…………だから、忘れてなんてもう言うな。オレを姫さんの中から締め出すなよ」 疑いようのない真の言葉に抗いようがない。 自分の中で変化していく気持ちから目を逸らしてきたが、陽里の体温からその声から史花はしっかりと自覚してしまった。  皇 陽里を失いたくない………… 意識したとたんに波打つ鼓動が肌の奥から押し寄せてきた。 素肌に触れる手の平や、隙間無く密着した胸元、肩近くにある首筋、陽里の全身を流れる血流が有り有りと存在感を主張する。 口の中にじんわりと残る血の味が、甘く本能をくすぐり史花は強い喉の渇きを感じた。 空腹な訳でもない。 飢えた感覚など微塵もないと言うのに、生じる吸血衝動に史花は慌てて陽里の腕の中から逃げ出していた。 ずり落ちそうなバスタオルを握りしめ、史花は乱れそうな息をひっそりと整える。 喉の奥が、目の奥までも熱い。 「…………姫さん?悪い、その」 片手で目元を覆う史花に陽里が慎重に声をかけてきた。 罪悪感を滲ませた切なげな声に、史花はハッとする。拒絶ととられても仕方ない。 「そうじゃ、なくて、嫌とかではないからっ」 自覚して戸惑う様な自分の気持ちを、言葉にする方法なんか知らない。 失いたくない。 餌になどしたくない。
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