49人が本棚に入れています
本棚に追加
面倒臭い、それに尽きる存在だった。
理解不能で不躾で、苦手で嫌いな人種。
皇 陽里は口を開けばうざくてたまらない。
厄介なだけだった。
それなのに、厄介なだけのその手を選んでいた。二者一択だったからではない。どちらがマシとか、そんな基準でもない。
その時、その手をとらないと、その優しさにもう触れられないと思った。
厄介で不躾で真っ直ぐな優しさに。
『失いたくなくて…………』
父の声が掠める。
妻を恋しがり『そうせずにはいられなかった』と嘆きながら弱る父の姿を思い出したくなくて忘れていた一言だ。
失いたくない。
有りとあらゆる物を失くし、娘を残して死んでいくと言うのに、何を言っているのか当時は分からなかった。
分からなくて理解できずに、父に苛立ちさえ覚えた。
…………こう言う気持ちか。
縋る様に抱え込んでくる陽里の体温に堪らなく満たされる。
「姫奈史花がいい…………だから、忘れてなんてもう言うな。オレを姫さんの中から締め出すなよ」
疑いようのない真の言葉に抗いようがない。
自分の中で変化していく気持ちから目を逸らしてきたが、陽里の体温からその声から史花はしっかりと自覚してしまった。
皇 陽里を失いたくない…………
意識したとたんに波打つ鼓動が肌の奥から押し寄せてきた。
素肌に触れる手の平や、隙間無く密着した胸元、肩近くにある首筋、陽里の全身を流れる血流が有り有りと存在感を主張する。
口の中にじんわりと残る血の味が、甘く本能をくすぐり史花は強い喉の渇きを感じた。
空腹な訳でもない。
飢えた感覚など微塵もないと言うのに、生じる吸血衝動に史花は慌てて陽里の腕の中から逃げ出していた。
ずり落ちそうなバスタオルを握りしめ、史花は乱れそうな息をひっそりと整える。
喉の奥が、目の奥までも熱い。
「…………姫さん?悪い、その」
片手で目元を覆う史花に陽里が慎重に声をかけてきた。
罪悪感を滲ませた切なげな声に、史花はハッとする。拒絶ととられても仕方ない。
「そうじゃ、なくて、嫌とかではないからっ」
自覚して戸惑う様な自分の気持ちを、言葉にする方法なんか知らない。
失いたくない。
餌になどしたくない。
最初のコメントを投稿しよう!