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「父親が嫌いなの?」
エレベーターに乗るなり史花が尋ねてくる。
帰ると言い出しそうなくらい訝しげに眉を顰めていた史花が、相変わらず手を繋いだままエレベーターに乗ってくれた事に安堵しながら陽里が深い溜め息を吐いた時だった。
榊原 生真は軽い挨拶だけを残して秘書と出かけて行った。
こんな時間に在宅していた事などないと聞いていただけに、自分たちの到着を待っていた節がある。
それは息子の為と言うより、息子が連れて来た女を一目見る為だけではないだろうか。
そう考えると癪に触る。
史花を見る父親の目も見え透いていた。
多分、史花の事を知っている。
どんな経緯か、それは全く想像すらできないが知っていて知らないフリをしているとしたら表の世界の話ではないだろう。
「嫌いとか以前の問題かな」
隣を見下ろすと史花が苦笑していた。
余り見せない表情だ。
父親が史花を知る様に、史花も父親と知り合いなのだろう。
それを問いたいが、喉元まで湧き上がった問いが声にならない。
無性に胸の奥がざわざわと苛立つ。
父親が嫌いか、そう問われると好きではない。
気に入らない。
だけれど今、胸をざらざらと撫でる様な苛立ちは父親が嫌いかどうかではなく ─────
陽里は繋いだ手を強く握ると史花の身体を引き寄せ、壁へと押しやった。
先程より近づいた史花の眉間には力任せに距離を縮めた事への非難が浮かんでいる。
「何のつもり?」
「恋人同士のつもり」
「エレベーターで壁ドンとか、発想がまるで少女漫画ね」
ほんの少し史花の口元が緩み、肩の力が抜けた様に小さく笑う。
ざらついた気持ちが焦りと期待へとシフトしていく。
少しでも受け入れて貰えているのだろうか。
キスを許される関係になれているのだろうか。
ゆっくり窺う様に唇を寄せると、史花の瞼が躊躇いがちに閉じられた。
冷たい上唇をついばむ様に緩やかに挟み込むと、迎え入れる様に唇が開かれていく。
疼く舌先の小さな傷をわざと史花の牙への絡ませ、陽里は口付けを深めた。
背中に照準を合わせているカメラを意識しながら、4階で開いた扉を非常停止ボタンで止める。
ここにいる限り、史花が恋人である事。
自分にとって特別な存在である事。
それをモニターの前にいる無愛想な門番にも、微妙な親子関係にある父親にも知らしめたい。
それが安全の為だけに必要な事ではないと、陽里は自覚していた。
か
口付けが求めるのはそんなものではなく、もっと自分だけのエゴに塗れた独占欲。
そして、牽制だ。
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