祖母

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 介護にかかる費用を早めに手元に準備しておこうという話になり、祖母の定期預金を解約することに決まった。  その時も既に立ち歩きはできなかったが、床ずれの心配がない程度には体を動かすことはできていた。  車椅子に乗って銀行に行き、銀行員の説明も頷きながら聞けており、会話も年相応に違和感なくできていた。それは私達だけでなく、おそらく銀行員も同様だったと思う。  しかし、いざ自筆で名前を書こうとした時だった。ボールペンを手にし、名前の欄にペン先をつけようとしたが、祖母は恥ずかしそうに笑いながら母にボールペンを渡そうとしてきた。。 「友ちゃん、書いて」 「・・あ、お客様、申し訳ありませんが・・」 「お母さん、私が書いたらだめなのよ。  汚くてもいいからお母さんが書いてね」 「・・友ちゃん、見本を見せて」  その言葉と表情が答えだったように思う。おそらく、母も察したのではないかと思った。  母は何も否定することなく、 「普段書くことないし久しぶり書くからね」 と、紙とペンを借りて大きく書いて見せた。 「練習していいかね?」  祖母のペン先は震えていた。同じ大きさで書こうとするが、真似して書くことすらできなかった。 「久しぶりだから難しいよねぇ。  すみません、私が書いたらダメですか?」  母は相変わらず祖母の状態を指摘するようなことは言わず、当然のことのような言い方をした。 「・・申し訳ございません。ご本人の自筆になってますので・・」 「わかりました。それならちょっと時間がかかっても大丈夫ですか?」 「はい、それは大丈夫ですので。ごゆっくりどうぞ。  書けましたらお声かけください」  銀行員は笑顔でその場を離れた。  祖母は文字を謎の記号のように感じていたのだろうか。母が書いたものを真似して書こうとしていたが、漢字の複雑な形を部分的に記憶しながら書くことすら困難であるように見えた。 「お母さん、少しずつ書いてみようか?」  本当に少しずつ。一画すら記憶できない。名前という絵を描くように。  書き終えるのに30分以上の時間が必要だった。もちろん、様々な試行の結果というのもあった。  勢いで書いたようなものではなく、なぞるように書かれていた。"ミミズが這ったような字"のわかりやすい例であるような、むしろ、"蟻が(たか)ったような字"と言う方が適切であるような。 「疲れた・・。  終わり?」 「うん、終わり。お疲れさま」  母は肩をさすりながら優しい笑顔で言った。  母と祖母のやり取りは、まるで小さな子供と話をする母子であるように見えた。
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