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バスルームから出て。
九条先輩が居る、リビングへと向かうと。
九条先輩が、此方を凝視したまま。
あんぐりと口を開けている。
…一体どうしたのだろうか、と。
俺は、首を傾げつつ。
九条先輩が腰を掛けているソファーへ。
「ちょ、ちょ!凛ちゃん、ストップ!」
「え?」
「そんな格好で、これ以上近寄られたら困りますよ!今、部屋着持ってくるから!」
「…はぁ」
九条先輩は、顔を真っ赤に染めて。
慌てて、寝室にあるクローゼットへ。
…やはり、タオル1枚だけでは、見苦しかったのだろうか。
何となく、居た堪れない気分に陥り。
気分が急降下をし始めている。
「は、はい。これ、着てください」
「…ありがとうございます」
此方に視線を寄せずに、九条先輩は俺に部屋着のジャージを差し出す。
…そんなに見苦しかったのだろうかと。
何となく。
心苦しい気持ちになりつつ、念の為、バスルームへと戻り拝借したジャージに着替える。
九条先輩が貸してくれたジャージは、【ark】の物だったが、自分には少し大きめだった。
俺も、もう少し。
男らしい体型になりたいと。
そんな事を思いつつ。
着替えを済ませ、バスルームからリビングへ舞い戻り、ソファーへと腰を下ろした。
「…いやあ、危ないところでしたよ」
「…お見苦しい物を見せてしまって、すみません」
「え?あ、ごめん。違うんだよ、凛ちゃんの素肌を拝めるとは思っても見なかったから、動揺してしまいまして。だから、見苦しいとかじゃないんです。俺の個人的な事情で」
「…はあ」
九条先輩は、慌てた様子で弁解の言葉を述べる。
どうやら。
見苦しかったわけでは無い様で、ほっと胸を撫で下ろした。
直ぐにネガティブな方向へ思考が傾いてしまうのは、俺の悪い癖だ。
直したいとは常々思っているものの。
長年染み付いてしまった思考回路は、中々修正が利かない。
「今日は、アルコールは入りますか?」
「そうですね…明日は祝日ですし」
「うん」
九条先輩は、ソファーから立ち上がり。
キッチンへと向かう。
今日は、どんなお酒を愉しめるのだろうかと。
現金にも、先程まで沈んでいた思考回路が徐々に浮上していくのを感じる。
九条先輩は、やはり。
相当な酒好きらしく。
毎度、色々な種類のアルコールを提供してくれるので、それが密かな楽しみだったりする。
「はい、どうぞ」
そう言って、差し出されたのは。
細い華奢なディールに、細かい彫刻が施されているお洒落なグラス。
グラスに注がれているのは、薄い琥珀色の炭酸。
炭酸の泡が、水面に昇って来ては次々と弾ける。
見ているだけで楽しめるような気がする。
さながら、高級なオーナメントのようだ。
「…シャンパンですか」
「うん。今日は、何となくシャンパンな気分だったので。洒落込み過ぎですかね?」
「いえ…、あんまり普段は飲まないですけど。でも、好きです」
「よかった。俺、シャンパンは割と苦手なんだけど、これだけは唯一好きなんだよね。高価な物じゃないから、いつでも手に入るし。ストックは何本かあるので、好きなだけ飲んで」
「ありがとうございます」
九条先輩は、俺にニッコリと微笑みを寄せた後。
また、キッチンへ。
きっと、おつまみを選んで来てくれるのだろうと。
俺は、先に口を付けるのは如何な物かと思い。
九条先輩が戻ってくるのを待つ。
煙草を1本咥え、火を付ける。
煙が体中に浸透していくような感覚は、やはり落ち着く。
煙草を燻らせていると、程無くして九条先輩が此方へ戻ってきた。
「あれ?先に飲んでて良かったのに」
「いえ、一緒に呑みたいじゃないですか」
「…また、そんな嬉しい事を」
「…はあ」
「今日の、おつまみはチーズとクラッカーにしてみました」
「お洒落な感じですね」
「でしょ?今日は、お洒落な夜にしようかと思いまして」
そう言って、九条先輩はニッコリと微笑む。
優しい、この人の事だから。
今日起きた事を忘れさせようと。
きっと、そんな思いで居てくれているのだろうと。
言葉にしなくても、優しさや思いが伝わってくる。
俺は、小さく微笑み、九条先輩に視線を寄せる。
「俺、九条先輩と出会えて本当に良かった。ありがとうございます」
「え、不意打ちですか。本当、凛ちゃんの破壊力は底が知れないな…。此方こそありがとう」
少しばかり、照れたような表情を浮かべる彼。
……愛しいと。
そんな事を思ってしまう。
「じゃあ、呑もうか」
「はい。頂きます」
「どうぞ」
シャンパンのグラスを合わせ、ガラスがぶつかり合う小気味良い音が鳴る。
九条先輩が、口に含んだのを見届けてから。
俺も、一口。
炭酸が喉を通って、弾けていく。
程よい甘さとアルコールの残り香が、とても心地よい。
飲みやすくて、美味しいと。
率直に感じる。
「美味しい?」
「…はい。甘さが丁度よくて、気に入りました」
「でしょ?甘いんだけど、嫌な甘さじゃない所がいいよね。大人な甘さといいますか」
「大人の甘さか…なんか、いいですね。これは、俺も嵌りそうです」
「良かった。気に入ってもらえて何よりだよ」
そう、言って。
九条先輩は、いつもより心なしかローペースでアルコールを堪能している。
普段ならば、いつの間にかグラスが空になっていて。
その呑みっぷりには、毎度驚かされている。
九条先輩に、時折視線を寄せつつ。
チーズとクラッカーを口に運び、
俺も、いつもより心無しか。
ゆっくりとシャンパンの味を堪能した。
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