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「あっ」
隣に座った女性を見て、私は思わず声をあげた。
慌てて口を塞いでももう遅い。怪訝そうにこちらを向いた彼女は三秒ほど私を見つめて正解を導き出す。
「もしかして、去年も隣の席でしたか?」
映画館で隣に座っていた客を覚えている人はそういない。私と彼女が互いに記憶していたのには理由がある。
去年、彼女の隣に座った私は赤いマフラーを忘れて出口に向かった。その忘れ物を親切な彼女が届けてくれたのだ。
「その節はどうも、ありがとうございました」
「いいえ。マフラーを届けただけです。大したことではありません」
「あなたにとっては『だけ』でも、私はとても助かりました」
「……そっか。そういうものですよね」
花が咲くような笑顔に息を呑む。と同時に、スクリーンに映像が映し出された。
予告が流れ出したのを合図に会釈をして互いに黙る。隣の席の可愛らしい彼女も私も、このスクリーンの前に座っている全員、予告が終わる瞬間を待ち望んで過ごしてきた。緊張の瞬間だ。私は少し吐きそう。期待で胸が高鳴るせいで。
毎年映画が制作されるこの作品。金曜日公開にも関わらず、公開初日朝一番の劇場は満席だ。今この劇場内に有給を奪い取ってきた仲間がいることを私は疑わない。
(そろそろ、始まる)
心待ちにしていた映画が始まる直前の「映画泥棒」に対するこの感情はどうしたらいいのだろう。「そんなことしないよ、早く見せて!」叫びたい私と「まぁ、犯罪防止のために必要な時間だよね」冷静な私と。結局どうすることもできず、悶々とするしかないのだけれど。
制作会社のロゴマークが流れる。さぁ、いよいよだ。
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