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怪物
昨日の夜から 不思議とリンは一度も電話をかけてこなかった。
前は少し帰りが遅いだけで何度も電話をかけてきていたのに。
シンとした部屋にはあいつがさっきまでいたような気配が残されていた。
綺麗に片付けられた台所。
テーブルの上のメモ紙にりょうちゃんお誕生日おめでとう。冷蔵庫に食べる物入れてるから温めてたべてねと書かれたメモがあった。何が食べてねだよ。約束破られて本当は腹立ってんだろうが。
冷蔵庫の中にエビフライと、ハンバーグと、ポテトサラダがあった。テーブルの上にちらし寿司とまだ少し温かい茶碗蒸しがあった。
「こんなに食えねーよ」
冷蔵庫の中の物は出して、温めもせず食べた。リンがいたらいつも温めて出す。
食べ始めてから自分が空腹だと気がついた。
痛くなる程の空腹だったにもかかわらず帰って来るまで気が付かなかった。
リンは俺のその日の体調に合わせて微妙に味付けや切り方を変えている。リンに拾われた頃の俺は偏食で少食で体の骨の形が透けて見える程に痩せこけていた。その頃は目眩やふらつき頭痛が頻繁に起きていた。
俺はコンビニ弁当や、冷凍食品みたいな量産型の味つけの物しか食べたことがなかったからはじめはリンの作る飯がどれも薄く感じた。なのに全部食べ終わると塩味、甘味、旨味のすべてが丁度良く食後に喉が乾いたりしなくなった。
「うめー」
スマホが鳴った。
誰かと思ったら実家の母親からだった。
「何か用かよ!ババァ!」
「りょう?あんた、今お世話になっている人いい人じゃないの?」
「は?」
「リンさん?だっけ?りょうの誕生日だからお母さんにも感謝してますって手紙と現金送ってきてくれたわよ!あんたからもお礼言っといてね!うまくやんのよ!じゃあね!」
母親は嬉々として電話を切った。
馬鹿でろくでもない母親だ。
普通、知らん奴から金、受け取るか?
あのババァなら受け取るか。
ん?
あれ?待て。
待て、この違和感は何だ?
リンが何で実家の母親の住所を知ってんだ?
リンに実家や、母親の話をした事があったか記憶を遡る。
ないと思う。いや無い。
自分の汚点をワザワザ話す筈がない。
スマートフォンには指紋のロックをかけている。ロックを解除するなんて出来ない。
だけど俺が寝ていれば?
できる。
でも、何のために?
自分のスマホが触られた形跡がないか確認してみる。
ゲームも殆ど気に入っているものしかしないからアプリは少ない。
あった。
GPS追跡アプリ。知らない間にダウンロードされていた。
じゃあ昨日、俺がどこにいたかリンは知っているわけだ。
リンが仕事から帰ってきた。リンがシャワーを浴びている間にあいつのスマホを開いた。
同じGPSアプリがあった。
やっぱり。
撮った写真やスクリーンショットを調べた。
どこで撮られたのかわからないのもいくつかある。
眠っている俺。配達中の俺。休憩中の俺。信号待ちの俺。
俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、俺、全部俺。
「気色悪い」
ゾッとして体中の皮膚が粟立った。
見なきゃよかった。
だけど俺はもっと見なきゃ良かったと後悔するものをあいつの写真の中から見つけた。
よく人の携帯なんか見るものじゃないっていうけど、そういうレベルを遥かに超えたヤバいやつ。
それは人生の中での最大の汚点。こんなのを撮られていたなんて気が付かなかった。
顔が血だらけの俺と重なっている男の横顔がはっきりと写っている。
あの時男の顔は分からなかったけど
その顔は明らかにリンだった。
なんでリンが?
リンの中に怪物がいる。
「どうしたの?りょうちゃん」
リンがシャワーを浴びて出てきた。
心臓が跳ね上がる。
寝室の隅で動けなくなった。
喉が引きつったみたいに声が出てこない。
リンが近づいて来る。
「僕の携帯?」
リンはいつもと変わらない。
「リン、俺と昔、会った事あったんだな」
「何の事?いつ?」
俺はあいつの撮った写真を見せた。
「それは」
「俺、馬鹿だけどこの時のことは忘れられない。あれお前だったんだな」
リンが近寄ってくる。
死の恐怖がフラッシュバックする。
膝がガクガク震え始めた。
「ちがう、りょうちゃん聞いてよ、それはね」
「くるな!お願い!怖い」
「りょうちゃん、大丈夫?」
そんな事、お前が言うな。
体がガタガタ震えて立っていられない。
膝をついてしゃがみこんだ。
「出ていく、お前とはこれ以上いられない」
「僕が出るから。りょうちゃんはここにいて」
「お前に世話されたくないんだよ!」
「じゃあ行き先が決まるまでいて」
今はこいつから一刻も早く離れたい。
「その写真について、りょうちゃんが聞く気になったら話すよ。待ってるね」
リンは簡単に荷物をまとめて部屋を出て行った。
一人になると少し気持ちが、落ち着いた。
テレビをつけた。
別に何か見たいわけじゃない。
意味もなく、チャンネルを変える。
これは神様の天罰だろうか。
俺がした事が、そのまま俺自身に返ってきたような、そんな気がした。
もし天罰なら、神様は大成功だ。
俺はリンを都合良く使っていた。
金も沢山使わせた。
ひどい言葉で罵った。
約束も平気で破った。
そういう扱いをしてもいい奴だと思ってい た。
だけど、そいつから俺はあんなトラウマを負わされていた。
バラエティ番組で誰かが馬鹿笑いをしている。まるで俺を笑っているようだった。
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