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記憶の奥のずっと奥
俺はヤクザにリンチされてから美人局もやめた。もう犯罪はやめた。悪い仲間とも連絡をとっていない。もう、あんな痛い目にはあいたくない。
体も治ったことだし、バイトすっかな?
リンが前歯を入れてくれた。いくらかかったかは聞いても教えてくれない。
リンは、「りょうちゃんはお金の心配なんかしなくていいよ。僕のお嫁さんなんだから」とかキメー事言ってたけど。お嫁さんならもっと家事してんだろ。やっぱリンに一生食わしてもらうわけにはいかないし、いつまでもやらせねーのにヒモ続けんのもわりぃしな。やっぱ、早くリンの家は出て自立しよ。
俺は、中古のバイクをリンに買ってもらってバイク便のアルバイトをはじめた。もちろん稼いだら金は返す。
バイクは昔乗っていたし、(無免だけど)道を覚えるのは得意だ。
一ヶ月もすると仕事は慣れてきた。
案外、金を稼いでマジメに暮すのも悪くない。
「りょー君○△町のお客さんの所に集荷に行ってくれる?」
「了解っす」
初めての住所だ。少し距離はあるけど俺は指定の住所に向かった。
そこは立派な門構え純和風の一軒家だった。表札には桐生と書かれてあった。
「スピード便です。集荷に伺いました」
チャイムを押すと玄関に入るように指示があった。
檜の香りのする玄関には数万円もするであろう、胡蝶蘭が飾ってある。
「おまたせしました」
中から出てきた男は、藍色の和服を着ていた。髪は肩より長く、後ろに束られている。
スラッとした体躯の人だ。
年齢は30前後くらい。
うつむいた顔から血の色みたいな紅い唇を覗かせた。
「これをこちらの場所までお願いします」
その唇が艶かしく動いた。低くてやや鼻にかかった声だ。
「はい。かしこまりました」
荷物を受け取る。
男と目が合った。綺麗な灰色の瞳。
記憶の奥のずっと奥に小さな石ころが投げられたような気がした。
なぜかどうしても目が離せなかった。
これ以上その目を見ちゃ駄目だ。本能がそう言った。
すばやく視線を外した。
「ありがとうございます。またのご利用をお待ちしてます」
やっとの思いでそう言った。
「よろしくお願いします」
男の様子に変わった感じはない。
その家を出た時、信じられないくらい全身に汗をかいていた。
心がざわつく。得体の知れない恐怖と下腹部に気怠い疼きを感じた。
勝手に俺の記憶が誤作動を起こして反応しただけなんだろうか?
それから何度か、その客の集荷の依頼が入ったが、適当に断っていた。
また、この感じ。忘れているんじゃなくて強制的に封じられているような感覚だ。
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