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執事、主を名指しする
任命されて5日でしかない新米執事の私に、大きな仕事が舞い込んだ。
命じたのはご主人様の北村葵。
友人の池澤瑞穂が嫌がらせメールに悩んでおり、犯人の新山理美をバンパイアの立場を利用して脅し、メールをやめさせろというもの。
葵は大学生。だが作戦当日の今日は午後の講義をすべてサボった。
いま彼女は私と理美の自宅近くのデパート内で作戦の最終チェックの最中。
私もだが葵もすごく楽しそう。積極的に自ら動く。
やはり魔女だ。極悪な展開に血が騒ぎ、スリルな状況に笑いが止まらないのだろう。恐ろしい女だ。
私は無理やり手下にされた哀れな身。本心から楽しんでるわけでは……。
「執事って今回の作戦にノリノリだよね。一度も抵抗なく自分から作戦提案したりさ。ま、さすが私の執事。立派だわ!」
う、やはり顔に出てるか。嘘は通じないらしい。
むしろ誇らしげな葵の言動を好意的に受け取り、私はもはや偽ることなく張り切って今回の作戦に打ち込むことにした。
最終チェックを終えると場を離れて本番だ。
まずは車椅子用トイレに直行。ふたりで中に入り、私はコウモリの姿に。
特別に許可され、今日は堅苦しいスーツの執事スタイルではなくラフなTシャツにジーンズ。
床に落ちたその衣服を葵が拾い上げ、コインロッカーに預けた。
私はといえば少し狭いが葵のショルダーバッグの中で待機。
暗さと揺れ具合が心地よくて……つい、つい、眠ってしまった。
「こら執事起きなさい」
寝てたのは30分ほどか?声と痛みで目が覚めた。
この女、私の顔をデコピンの要領を用いて指で弾いたのだ。
手加減なしの不意打ちにびっくりして飛び起きた。私のネズミっぽいチャーミングな顔がおたふくのように腫れたらどうするんだ。
「熟睡?ま、余裕があっていいことだけどね」
私の内心にはお構いなしの葵。手のひらに乗せた私を撫でながら、度胸満点な様を誉めてくれた。
毒舌主人の誉め言葉にたちまち私の機嫌は回復した。
もしかしてそのために誉めたのではと脳裏をかすめたがタイミングも遅く、葵の心理を測るのはもう不可能。
でも優しく撫でてくれた彼女に裏があったとは思いたくない。素直に好意を受け入れよう。
ああ、疑り深い性格になったものだ。それもこれもひねくれ者の主人のせい。
うーん、たが彼女は疑う必要がない素直な性格なのかも。ズケズケと発言し、容赦なく心を折り曲げる厄介者であるが。
◆
さて眠っている間に舞台は変わり、辺りを見回すと昨日下見した新山理美の自宅が見える位置。
ここからは葵も本格的に関わる重要作業。ヘマは絶対に許されない。
友人のために高いリスクを自分たちが背負うのは不要だと思う。けれど私も葵もスリルが好きなのだ。
こんなドキドキめったに味わえない。すなわち、前進あるのみ!
「執事、本番よ。今からすべての判断はあなたに任せるわ。さ、頑張ってきて!」
目線の高さを合わせて葵は真摯に語り、語尾と同時に手のひらの私を空へ放った。
鼓舞された私は張り切って宙を舞う。彼女の頭上を2周旋回し新山理美の自宅に向かった。
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