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執事逝く
「執事、絶対ここに戻るのよ!返事は!?」
うっすら涙目にも見える表情で、葵が声を張り上げる。
賢い女だから死期には気づかなくても私がもう戻らないと空気から察しているのだろう。
期待を持たせるより戻らないとはっきり告げるべきか否か。葵はどちらを望んでるんだろう。
けれど返事を望んでるってことはここに帰ってきてほしいってこと。
葵は真実を聞くより嘘でもいいから「戻ってくる」という一言が欲しいのだと思う。勝手な憶測だけど。
「必ず戻ります」
私は自身の憶測を信じた。ベッドに腰を下ろす彼女を見下ろして力強く断言した。
偽りだけど後ろめたさはない。結果的に笑顔を引き出せた。最良の選択だったと自負したい。
「当然ね。執事には来年も学園祭で頑張ってもらわないと!」
え、そんな理由?
驚愕発言に絶句し、脳裏には2週間前の葵の大学での学園祭の様子。
彼女の恋人である五十嵐大地に頼まれ青空カフェで執事兼店員として働いたのだ。
まあ私の頑張りもあって学園祭の出店売上ランキングでは堂々の第2位!五十嵐大地も大喜びしてくれた。
それにライバルの執事カフェは5位で私たちの見事勝利!圧勝に葵も大喜びだったなあ。
私にとってもいい思い出。でもこれを再来の理由に上げられても。
ジョークだと思いたいけど目が真剣だ。しかしここはご都合主義を重視して聞かなかったことにしよう。
葵は私の再来を純粋に望んでいる。これでいいのだ!
強引に結論付けて、お別れ間近だというのに冷や汗の私。
まったくもって油断ならぬご主人様である。
11月下旬の夕方。窓の外は真っ暗。コウモリが飛行するには快適な時間帯だ。
「行きます」
窓から視線を移してそう告げた。
いざとなったら何を話すべきなのか、冷静なはずなのに何も浮かばない。
彼女の黒い瞳に私が映る。人間の姿をした己を見るのはこれが最後かも。
この姿のうちにできることって何だろう。会話?うーん、それと……。
恋人同士ならハグやキスもありえるけど、私にその気は全くなし!
確かに一目惚れの相手ではあるが今は主人と執事。私は永遠に彼女の執事でありたい。
だから立場にそぐわぬ行為は禁物だ。
真面目すぎて自分でもバカかと思う。けれどこれが私が積み上げてきた執事のプライド。最後に壊したくない。
で、私が望んだのは次の行為。
「姫、握手をお願いできますか?」
「いいわよ」
「お世話になりました」
柔らかくて暖かい葵の手を優しく握りしめる。感謝の思いを込めたんだけど、ん?何か痛いぞ!
痛い、痛い、痛いっ!
この女、いきなりきつく握り返してきてニヤリと笑った。
「執事、一緒の写真撮るわよ!再会した時どれくらい成長したか見比べてやるから!」
魔女の笑みを浮かべる彼女。手は痛いし不吉な笑みだけど、私の心にその言葉が重くのしかかった。
さっきから「再会」というフレーズを何度も口にする姿が痛々しかった。
多分お互いが再会は不可能だと理解している。言葉にする勇気が不足してるだけ。
そんななか虚しい気持ちを晴らすように頬を寄せて身を寄せて、私たちは一枚の写真を撮った。
「うん、いい写真!」
葵はスマホの画面を見つめて満足感たっぷりに語った。
私には見せてくれなかったけど、本当にいい一枚だったのだと思う。彼女の笑顔が綺麗だった。
「貴重な体験や経験ありがとうございました」
深々と頭を下げてもとの姿勢に戻った。
開いた窓から冷風が流れて葵の髪をふわりとそよがせた。
遅くなったら未練が募る。キッパリと潔さを決め込み最後の会話を交わした。
「ありがとう、葵…お嬢様」
そしてコウモリの姿に。
着ていた服が床にバサッと落ちて小さな山を作った。執事スーツともお別れだ。
室内を何周も旋回し、お気に入りだった止まり木にも一度身を吊して別れを告げた。
最後に葵の頭上を飛んで屋外に飛び出した。もう振り向かず、私は闇に溶け込んだ。
◆
そうして、あれから半年が経った。
私は仲間のいる洞窟でコウモリ生活。薄暗い空間で岩の天井にしがみついての逆さまな日々。
寿命は一年と聞いていたから一年後に発病でもするのかと思っていたが、半年も経たずして体力低下に悩まされた。
飛行もほとんどままならず、人間への変化はもう無理だ。高貴なバンパイアがただのコウモリへと格を下げた。
屈辱的ではあるけど、人間生活の記憶は鮮明に残っている。
「執事は最高の執事だったよ!」
北村家から出た最後の日。背中で聞いた葵の最後の声。
半年が経った今でも私の中でその言葉がジーンと響く。
冬眠がすんだら葵のもとに戻ると言ったけど、初夏になった今もそれは実現されていない。
もう会えないとした上で話した約束だったけど、約束すべきでなかったと後悔している。
1%の確率であろうと望みを捨てず、葵は私の帰宅を待ってるだろう。
会いたいなあ。あの高飛車な言動が恋しい。我が儘な彼女に振り回されたいなあ。
春も過ぎて大学3年生になったはずだ。就職活動も本格的に始まってくるし、女子アナ志望だから面接が特に重要。大変だろうな。
テレビ局に入社かな?アナウンサー姿、見たかったな。
再来年には卒業式をして入社して、いずれ結婚もするんだろう。
五十嵐大地とは別れてないよな?たまにケンカはしてるだろうけど彼の方が優しく大人だし、交際継続中だろう。
「葵を大切にする」と誓ってくれた彼を全面信頼してるけど。
ああ!さっきから『~だろう』ばかりでイライラする!自分で確認がしたい !
飛べるか?
でも飛んだら体力が著しく低下する。死期が早まる。
それでも、葵に会いたい。人間になれず会話ができなくても彼女に会って声が聞きたい!
今日は何月何日?何曜日?葵は自宅にいるかな。
留守でもいい!あの懐かしい屋敷を瞳に映せるのなら!
ゆっくりと岩場から足を離して……
あ、飛べる!
大丈夫だ。翼に筋力は残ってる!後は気力でカバーだ!目指せ北村家!レッツゴー!
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